「朝になったら帰らねェといけねーんだけど、どうせ昼間はすることないから寝てりゃ良いし」
「ふぅん、楽しそ」
「あー、まァな。俺にはそれくらいしか楽しみなかったし」
今年は少し違ったけれど、そう続くはずの言葉は銀時を付け上がらせるような気がして、言葉にしないまま。
拗ねてしまったのか、唇を尖らせて黙り込んだ背中を叩き、注意を促す。
「そろそろ人目につくからもっと高いとこ飛べよ」
「でも、寒いよ? マスター汗掻いてたし」
「…元凶が持って回った言い方してんじゃねェ、見つかる方が厄介だろうが」
「まァそうなんだけど」
「テメェがいるのがバレたら間違いなく家から出してもらえなくなるな。お前も近藤さんのとこ、行くんだろ?」
「連れて行ってくれんの?」
「来る気でいるテメェに抵抗しても無駄だって諦めただけだ。どんな手段使ってんだか知らねェが、来るっつったら来るくせに」
「そりゃ行くよ、マスターってば迂闊なとこあるから心配で心配で」
大袈裟に肩を竦めて、垂直に高度を上げた銀時が空を駆ける。
急激な気圧の変化についていけないのは鼓膜ばかりで、銀時の着流しに包まれた体は不思議と暖かかった。
ごうごうと鳴り続ける風の音はどこか聞いたことのあるもので、目蓋を落として視界を閉ざせば、その正体が容易く知れる。
ああ、これは、耳を塞いだ時に聞こえる血流の音だ。
眠れない夜、やり切れない時間を耐えるために聞き続けた音は、静かすぎる部屋をにぎやかにしてくれて。
いつ終わるとも知れない音を聞いているうちに、眠りに落ちることが出来た。
家に味方のいない土方に寄り添い、安寧を齎してくれた大切な音。
肩から力が抜け、素直に身を寄せれば、銀時の腕に力が籠る。
「マスター、もう着くよ」
「あぁ、そうか」
「窓から入っちゃっていいの?」
「そうしてくれ。なァ、お前替えの服とかあんのか? 流石にその服で近藤さんち行くのは…」
木枠が軋む音がして、風の音が止んだ。
次いで指先まで温もりを取り戻し、銀時が部屋に着いたことを知らせる。
着流しを奪われて開けた視界に映るのは、見なれた自分の部屋だった。
がさつにまとめて来た荷物をそこらに放り投げた銀時は、乱れた衣服を正している。
片袖を抜いて、いつもの姿に戻って一回転すると、人の悪い笑みで土方を覗き込んできた。
「同じ服しかないっていったら?」
「…俺の貸すしかねェだろ」
憮然と唇を尖らせ、顔を背けた土方が思い立ったように瞳を輝かせる。
振り返りざま、銀時の胸に人差し指を突きつけ、唇の端を持ち上げた。
「でも、下のサイズは合わねェかもなァ。俺の方が足長ェだろうから」
「な……ッ、銀さんの方が長いに決まってんでしょーが! マスターより遥かに長いですぅ、実は八頭身あるんだからね、嘘だけど」
「嘘かよ。お前のその着流し、足短ェの隠してんじゃねえのか?」
「これはファッションです! 魔界では流行りすぎて困っちゃってんだから、魔界人なんて殆ど着流しだからね、任侠の世界なんだから」
「…なら着流しの下の洋服は何だよ」
「これは寒さ対策。あと、脱いだ時に意外と着やせするのねとか言われたいからね。銀さんの逞しい腕はマスターのハートをがっちりキャッチするためにあるんだと思います」
「残念ながら男の腕に興奮する趣味はねェ。ついでにお前に興奮することは一生ねェ」
「えーウソだァ、さっきものすごい興奮してたくせに。心臓バクバクいっちゃってものっそ可愛かった」
「…………………………………」
「聞こえるんだよ、マスターの心臓の音。俺とマスターは一心同体だからね」
「気色悪いこと抜かすな」
臆面もなく顔を引き攣らせ、距離を取った土方が扉に向かおうとするのを、銀時が押し留める。
待って、と言いながら子狐の姿に変わり、尤もらしい顔で肩に収まった。
沈黙で理由を問う土方を正しく理解して銀時は、一緒に風呂に入ると告げる。
土方が全力で拒否するより先、揺らした尻尾で頬を撫でると。
「マスターが一人で入っても不思議じゃないけどさ、俺が入ってんの見られたら困るんじゃないの? 狐が家宅侵入、んでもって風呂入って寛いでるなんてこっちの世界じゃ有り得ないよね。良いじゃん、どうせマスターの体で見てないとこなんてもう無いんだし」
「はァ?」
「学校でもお風呂、一緒だったでしょ?」
「…テメェを連れて入った覚えがないんだが」
「あ、アレーそうだっけ」
忘れちゃったなァ、と空々しく呟いて銀時は、調子良く促した。
子狐のままでいるなら、そう制限をつけるのも忘れずに土方は風呂へ向かう。
途中誰にも遭わなかったことだけが幸いだった。
* * *
洗いざらしのシャツと、ボトムスは緩めのものを選ぶ。
どうせ床やベッドに転がって怠惰に過ごすのだ、なるべく楽な方が良い。
念のために杖と、食料と思考を巡らせたところで息を詰めた。
目を瞠り、硬直してしまった土方の肩をうろちょろと銀時が動き回る。
嫌がられるのを承知で頬を舐め上げれば、土方は悲鳴もあげずに呆然とやべぇと呟いた。
「どしたの、何かあった?」
「姉貴の菓子…」
「あぁあのフェロモン系のお姉さんね。銀さんとしてはもうちょっとクールで毒がある方がタイプかな」
「元はと言えばテメェのせいで…!!」
銀時の存在を隠すために吐いた嘘で、理不尽な取引をさせられたのだ。
細い首と尻尾を掴んで引っ張れば、歪んだ悲鳴が上がる。
頻りにギブアップを訴える銀時をそのまま首に巻き、厚手のコートを引っ掴んだ。
「どこ行くの?」
「買い物。ついでに近藤さんち行く時の手土産にしようと思って」
「ねぇマスター、それそんなに美味しいんだ」
「テメェの分はねえぞ」
「一個、いや、一口でも良いから…!」
「どんだけ執念燃やしてんだ、たかが菓子ひとつで」
「だって貴重な糖分…」
頭使うと甘いものが必要になるんだよ、と嘯く頭を小突いて杖に飛び乗る。
開け放したままの窓から外へ出て、レンガ造りの小洒落た店まで。
雪に覆われた植え込みを避け、滑らぬように降りるとオーク素材の扉を内に向けて開いた。
笑顔で迎えられる店内、客は皆女性ばかりで、居たたまれぬ雰囲気に思わず後ずさりするがしかし。
ここで姉の約束を反故にする方が怖い。
順番を待つまでに注文を決め、集まる視線には気付かぬ振りで通せば。
「すっげー…、端から端まで全部食べてェ」
感嘆の吐息を漏らす銀時に、ぎくり、背筋を強張らせる。
くすくすと笑われ、咳払いをして誤魔化す土方へ、銀時が赤い舌を覗かせた。
素直にごめんなさいと謝られるけれど、綺麗に無視を貫いて注文を済ませる。
一つ、おまけにしておきますねと言われたのが幸か不幸か、次から来店しづらくなったことは確かだ。
生温い微笑みに見送られて土方は、扉を潜る。
「大概にしろよ、テメェは。欲しけりゃ買ってこい」
「銀さんお金ないもん」
「…………………………………」
「一円も持ってないもん」
「お前、今までどうやって生きて来たんだ」
同情を多分に含んだ眼差しで見下ろしてくる土方は杖に腰掛け、地面を蹴り上げた。
重力に反して浮き上がる杖の先に包みをぶら下げて、ゆっくりと飛ぶ。
泳ぐように追いかけてきた銀時が、膝の上に体を丸めた。
「どうやって、って…森にゃ魚も木の実もあるし。基本魔力さえ供給できてりゃ死なないし」
「そのくせ糖分は摂取すんのか」
「まぁ、いざって時には食堂から忍び込んで、ね」
「泥棒かよ!」
「俺だけじゃねーし。結構他の奴も貰いに来てるよ、腹減ったゴリラとか…」
「近藤さん…」
「の、使い魔の方な」
「…………………………………」
「もしかしてゴリさん本人だと思った?」
尻尾を揺らして視線でからかう銀時から目を逸らして、そんなことないと白々しく。
「黙っててあげるから、今度あの店で何か奢ってよ」
「金がねェ上にたかりかよ。ちっ、仕方ねえな…今度な、気が向いたら」
「やった、マスター約束だからね」
膝の上で小躍りでもしそうな銀時を振り落とすべく尻尾を掴んで持ち上げるが、逆に腕へと絡みつかれてしまう。
するすると登りながら銀時が、喉を鳴らして笑っている。
土方をからかって喜んでいるのは、いつも通りの銀時だ。
嬉しそうに頬ずりをして、過剰なスキンシップを図ってこられるのに安堵する。
家に帰って不安定になったところに銀時の過去が流れ込み、踏み止まることもできずに落ち込んでいってしまった。
二人して混乱したまま、とんでもないラインを踏み越えてしまった気がする。
それでもこうして元に戻れて、他愛のない遣り取りが出来ているから、あの時間は無駄ではなかったと、そう思えた。
「なぁ、近藤さんに迷惑かけんなよ?」
「銀さんはいつだって良い子ですぅ」
「胸に手を当てて考えてみろ、どの口がそんなことを言える」
「えー…何もないって言ってるけど」
「俺のじゃねェ! しかも尻尾じゃねえかァァァ」
そっと当てられた尻尾を払いのけて怒鳴る土方を意に介さずに銀時は、知らないと笑っている。
このままどこかに落とすか、との考えが脳裏を過るが、家を目前に諦めた。
銀時に杖を預け、一人室内に戻ると姉の部屋の前に包みを一つ置く。
ノックをしておけば、そのうち顔を出すだろうと二度三度扉を叩いて踵を返した。
葦原 瑞穂