scarecrow/7〜追憶のブリザード 05



呆気にとられた表情で銀時を見遣る土方へ、苦笑が返る。

「生きてきた分知ってることも多いけど、きっと知らねーことの方が多いよ」

遠くへ視線を投げた銀時は、短く絡む草を蹴り上げた。
ゆるやかに流れる風が切れ端を攫って舞い上がり、土方だけが行く先を追いかけて。
彼方を眺める銀時は双眸を真っ直ぐ前に固定したまま動かさず呟いた。

「明日起こることが誰にも分かんねーみたいに」

淡々とした言葉につられて、銀時へ戻した視線はしかし、合わない。
思い出したように繰り返す瞬きは緩慢で、瞳を縁取る睫毛も銀色なのだと改めて気付かされる。
意図を掴ませぬ、濁った瞳をしているくせして、時折見たこともない輝きを灯す使い魔。
知らないことの方が多くて、信用も出来ないはずなのに何故か不思議な説得力を伴う言葉から意識が逸らせずに。
沈黙でもって話の先を促せば、気付いているのかいないのか、銀時は囁くように紡いだ。

「今この瞬間にも知らないことが生まれて、きっと…知ってることが消えてく。そんなもんだろ」

それは、よくよく見ていなければ気付かぬ変化だった。
飄々とした風情の銀時に僅か過る陰り、深い色を湛えた瞳がゆっくりと目蓋の内に隠されて行くのに、背筋がすぅ、と冷える。
唐突に銀時を見失ってしまったような気がして、風に靡く袖を掴んだ。

「…マスター?」
「飯、食うだろ。テメェの頭と同じとっちらかった話なんざ分かんねぇよ」
「いやいや、マスターから振ってきた話でしょ?」
「知るか、格好つけて見せても全然決まってねえんだよ」
「えーうそ、女の子は大概この話すると銀さんカッコイイ抱いてーって…なったらいいのにね」

御丁寧に身悶える振りまでして、漸く土方へ向き直った銀時の唇が弧を描く。
けして笑っていない目と綺麗な弧はどこかちぐはぐに、ぎこちない表情にまた寒気を覚えた。
小さく戦慄く土方へ、いつもなら軽口を叩くはずの銀時は目を眇めて、ご飯食べよっかと言葉を切ってしまう。
ふと、取り残されてしまうような気がして、掴んだ袖を引っ張った。
離れた距離を詰め、銀時の頬へと手を伸ばして。
輪郭を指の背で撫で上げると、気持ち良さそうに目を閉じるから腹立ち紛れに摘まむ。

「気持ち悪ィ顔してんじゃねえよ」
「ふぃふぉいっ、ふぃんふぁ」
「黙れ、両方摘まむぞ」
「…………………………………」

睨めばすぐに耳を垂らして大人しくなる銀時に、やっと安堵の息を吐いた。
頬を摘まんだまま引っ張り、束の間見惚れた風景に背を向ける。
あんな顔をさせるような景色など、今となっては何の魅力も感じない。
どうしてだかささくれ立つ神経を持て余して、土方は盛大に舌打ちした。

(くそ、調子が狂うんだよ)

摘まんだ頬ごと投げるようにして銀時を地面へ転がした土方は、抱えてきたバスケットを乱暴に開く。
綺麗に張られたラップを破りながら剥いで、銀時の好物を先に頬張った。

「あ! マスター酷ェ、それ銀さんの好きな具なのにィィ」
「うるせェ、俺が持って来たもんを好きにして何が悪い」
「うわ、出たよ我儘発言。傍若無人気取りですかコノヤロー。食べ物の恨みは恐ろしいんだからな」
「テメェなんぞに何が出来る」

鼻で笑いつつ咀嚼したサンドウィッチの中身はイチゴと生クリームで、甘ったるさに眉根が寄る。
毎度毎度、人の嗜好を理解しない料理人たちだ。
幼い頃より甘いものが得意ではなかった土方は、事あるごとに訴えてきたつもりだが聞き入れられなかったらしい。
というよりむしろ、父親や兄たちが絶対的優位にあるため、末っ子の土方の言い分まで気が回らなかったのだろう。
何せ、家での土方はエリートの兄姉に比べて虚弱で能なしの厄介者扱いだったから。
肩を落とすついでに、胸やけがしそうなサンドウィッチの残りを無理矢理銀時の口許へ運ぶ。
綺麗な歯形を残したサンドウィッチに躊躇うことなく銀時は、大口を開けて食いついた。
タイミングを見計らって引き抜こうと力を抜いた指先、視線は口直しになるものを探し出す。
せめてチキンレタスサンドとか、マスタードの利いた卵が具のものはないのか、と意識がそちらに向きかけた瞬間。
5本の指ごと温かいものに包まれる感覚がして目を瞠った。
ゆるり、そこだけ時間が遅く流れているかのように視線を巡らす土方は、銀時の手に握り込まれる己の手を見つける。
土方の皮膚を庇って控え目に這う指の先、長い爪。
予想以上に指が長く見えるのはきっと、この鋭利な爪のせいなのだろう。

「な、んだよ…」

尋ねる声が揺れた。
掴まれた箇所に感じたこともない疼きを覚えて、振り払おうとするがしかし。
銀時の瞳の奥に見える陰が、土方の抵抗を抑えつけてしまう。
途端に閉塞空間に追い込まれたような気分になり、奇妙な緊張感を持て余して。
手のひらに浮く汗が不快で仕方ないと、そちらに流れた思考も目蓋を閉じる銀時を前に霧散した。
少しずつ距離を詰めてくる銀時に何をされるかなんて分かりきっているのに動けない。
理由もなく、キスをしようとしている。
魔法を掛けられて動けないわけでもない、魔力の交換でもなく、ただ。
後付ける理由も探しあぐねるはずだけれど、こともあろうに土方もまた視界を閉じた。
受け入れやすいようにと顔を傾けて感じる微かな吐息。

(…ダメだ、目ェ開けて殴り飛ばさねえと)

脳内に響き渡る警鐘は、理性では納得できるのにそうできずに。
信じ難いことに、そのまま銀時からのくちづけを受け入れてしまう。
唇の柔らかさを受けた先から離れて良く温もり、羽根が掠めたようなキスに掴まれた指先が痺れた。

「…流されちゃダメだよ、マスター」
「テメェが言う台詞か」
「まぁ、出会ったときから流されっぱなしだけどな」
「張本人が言えた義理じゃねェだろ」

諌める銀時はしかし、困り顔で笑って捉えた指先へ唇を落として項垂れる。
ふわり、癖毛に手の甲を擽られて土方は、狼狽えた。
雰囲気に流されたわけじゃない、少なからず動揺していたのは確かだけれど。
抵抗しようとしてしなかったのは、紛れもなく土方自身の意思でしかなく。
何の理由もないくちづけを受け入れた自分が理解できず、唇をきつく拭った。
そんなに嫌がらなくても良いじゃんと呟く銀時へ、嫌じゃなかったから嫌なんだ、と胸のうちで吐き捨てる。

「あァもうワケ分かんねぇんだよ」
「マスター?」

甘さが滲む声音で土方を呼ぶ銀時は、無防備な爪一つひとつに唇を這わせてから手首へと。
次第に覆い被さるように距離を詰めてくる体になすがまま。
短い草の上に倒された土方は圧し掛かる男の顔を窺い見ようと首を傾げた。

「オイ」
「なァ、忘れないでくんない?」

俯いたまま表情が見えない銀時に焦れて、前髪を避けようとした手を払われる。
亀裂の入る音が聞こえたのは現実か、はたまた幻聴なのか。
銀時に拒絶されることに慣れず、顔を歪めた土方に銀時はごめんねと低い声で、それから。

「マスターが好きだよ」

そう続けた。
らしくなく真摯な言葉を聞き遂げて理解するまで、どれだけの時間を要したのだろうか、呼吸も忘れて銀色の髪を見つめた。
好き勝手散らばる髪が柔らかく、手触りが良いことを指先が覚えている。
子狐の時のふわりとした感覚と人型の少しだけ固くなった髪の違いでさえ、詳細に。
いい加減な台詞を吐いて迫ってくるくせに、何でこんな時だけ。
流されるなと自分で忠告しておいて、どうして付け入るような真似をするのか。
答えが出そうで出ないもどかしさをどうにかしたくて、腹立ち紛れに睨みあげた銀時は、驚くほど情け無い顔をしていた。
眉も耳も垂れて、しでかした悪戯の許しを請うように。
ここで弱さを見せるなんて卑怯なと思いながらも土方は、銀時を呼ぶ声を抑えられなかった。

「お前、…何がしたいんだよ」
「…………………………………」
「唐突に現れたかと思えば召喚魔法も邪魔するし、嫌だっつってもくっついて離れねェし。好きだの何だの、魔物なんだろ」
「…………………………、…」

跳ねた肩は想定外だったのか、口中に舌打ちを隠したつもりで銀時は、魔物なんだよねぇと口調の上でおどけて見せる。

「そう、俺ァ使い魔である以前に魔物なんだよね」
「…………………………」
「マスターとの契約もまだ仮のもんだし。自由になろうと思えばなれる」

だけどね、と自嘲を含んで面を上げた銀時は、唇の端を器用に歪めた。

「帰るところなんてもうねーんだよ」

面白そうに言う言葉の重さに耐えかねて、窒息してしまいそうになる。
銀時の過去に何があったのか、一端も窺い知らぬ土方だけれど、引き絞るように紡がれた台詞が、銀時の抱える傷を匂わせた。
死んだ目をしているその胸の奥の心臓が、癒えない傷を抱えて生々しい血を流している。
そう思わせるのに充分な響きだった。
瞬間的に思い浮かぶ赤は鮮血、自分の言葉が引き金となり、銀時の傷口に爪を立ててしまったはずだ。
魔物だと、恐らく何気なく放ったその一言は、単語以上の意味を伴って銀時に落ちたのだろう。
罪悪感に歯噛みするしかない土方は、どう謝れば正解なのか見失い、掛ける言葉を無くした。















−つづく−

BACK  INDEX  NEXT 

葦原 瑞穂