ほどなくして戻ってきた土方の片手にバスケット、相当の重量があるように見えるがしかし。
鼻を利かせて中身を確認することで容易に意図が知れた。
厚手のローブを纏う土方を視界の隅で見て取り、窓を開け放つ。
桟に腰かけ手を伸ばせば、土方は杖で銀時を小突いて外へ突き落した。
僅かな間も置かず落ちてくる土方を人型のまま抱き止めて、遥か上空を目指す。
横殴りの雪を割って進むうち、体勢が辛いのか土方が身動いで。
何事か告げようと開閉する唇は青く、心なしか頬から血の気が失われている。
浮上を停止した銀時が土方から距離を取れば。
「マスター?」
「………さ、みーんだよ」
「あー、悪ぃ。ちょっと待ってて」
言うや否や尻尾を土方に巻きつけ、くるりと回転した銀時が大きな獣に変化する。
ふさふさの毛皮に巻き込まれるとじわり、体温が移り暖かい。
一息吐いたのも束の間、雲を突き破って晴天の元へ。
遮るもののない景色に見惚れ、知らず零れた吐息が白く消える。
「あったかくなった?」
「まださみー。家より寒いとか冗談ごとじゃねぇぞ、こんなとこで飯とか有り得ねェ」
「サンドウィッチと、カットフルーツと保温魔法の掛かった紅茶ってとこ?」
「意地汚ぇなテメェは」
「いや、そこはマスターもうちょっと綺麗な表現で行こうか」
「テメーなんかそこらのホームレスと変わんねえだろ。それとも何か? 帰る場所も家も人もいるならすぐさま帰れ。このまま帰れ」
「さり気に厄介払いしようとしてるだろ、マスター俺のこと捨てようとしてんだろコノヤロォォォォ」
「俺がお前を受け入れようとしたことあったか?」
「ないから気にしてんだろうがァァァ! くっそ、絶対ェ離れねーかんな、こうなったら意地でも傍にいて添い寝までしてやるぅぅ」
「最後おかしいだろ!」
尻尾の毛を毟れば跳ねる体、緩んだ隙間から落下の途を辿る土方は、バスケットだけは離すまいと抱え直した。
落下する感覚は何かを置き去りにすることに良く似ていて、元ある場所を眺めて目を眇める。
網膜を焼き尽くすほどの光線、久方振りに拝んだ太陽をもう少し見ていたいと思ったのだけれど。
疾風に攫われて、呆れたような声音がもうちょっと慌てて欲しいんですけどォと諫めるものだから、鼻で笑い飛ばした。
「俺ァ魔法使いだぜ? 空を怖がるなんざ笑い者になっちまわァ」
「杖持ってきてないのに?」
「…呼び寄せれば済むことじゃねェか」
「…………………………………」
「……、…………………………………」
盛大な沈黙の後に銀時は、意地っ張りだねぇと項垂れる。
苛立ち紛れにした舌打ちはしかし、凍えた唇の奥不発に終わって。
銀時の毛皮があるとは言え思うより冷え切っていることを知る。
「ンなことより、どっか下りろ。腹減った」
「南の方にでも行こうと思ったんだけど」
「髪から何から適当な野郎だなテメェは。雪が降ってなけりゃもうどこだって良い」
「じゃあラブ」
「余計なこと喋る前に飛べやマダオ」
低く地を這うような低音で脅せば、銀時は素直に空を駆けた。
背にしがみつくようにして肩口までよじ登り、大きな耳に口を寄せる。
「なぁ、お前のいたところってどんなところだ?」
「どんなって魔界?」
ごうごう音を立てる風に負けぬように声を張り上げる土方に対して、銀時は驚くほどいつも通りだ。
耳を澄まさずとも聞こえてくる言葉に頷き、ややしてそうだ、と怒鳴れば。
「魔界っつっても広いからなー。あ、そういや丸くねーよ」
「はァ?」
「こっちの世界は丸いじゃん。終わりがねーっつーか」
「魔界はあんのか?」
「ある。出たことねーけど終わりがあって、んで、後はこっちと大して変わんねーかな。ただ、魔界は厳しいとこだってことは確かだ」
「…………………………………」
「勝手に服変えらんねーし、髪型だっていじれないんだぜ? 銀さんだってストレートパーマになりたかったのに。さらさらふわりの愛され狐目指してたんだけどよォ。ほら、その方が女の子受けすんじゃん、それにかわいーとかって連れて帰ってくれるかもしんねーし。そしたらあわよくば」
「聞いてねェェェェ!! 軽く引く告白すんなボケ。あざとい戦略とか腹黒すぎんだろうが! 大体テメェの髪の事情なんて毛先ほども興味ないわ」
「いやー、一応客商売っつーかイメージが大事からこういうのは。ホラ、ホビットとかっつーと帽子かぶってそうな気がすんじゃん、ちっさかったりすんじゃん。アレ、本当はあいつら成長したいんだからね。でもパブリックイメージとかあっからさ」
「…………………………………」
「サンタクロースのおっさんもそうだかんね? もうオシャレヒゲにしてチョイ悪サンタ良くね?とか言い出して却下されてっからコレ」
「ちょ、まてオイ、サンタのおっさんが魔界人てマジでか」
「当たり前だろうが、全世界の子供にプレゼント配るんだぞ? 一人の大魔法使いより
一匹のオッサ…じゃなかった魔界生物だって。ちょっと存在がファンタジーでメルヘン入ってるからって魔法協会にスカウトされやがってあのジジイ。ホントは飲んだくれでトナカイとマジ喧嘩するようなジジイのくせに」
「……………………………」
幻想を打ち砕かれた衝撃で、たっぷりの沈黙の後に土方は今聞いたすべてをなかったことにして。
サンタクロースはアレだ、ファンタジーだ、ふぉふぉふぉと笑ってプレゼントをくれる心優しいおじいさんなんだ、と己に言い聞かせて頭を振る。
デタラメな世界だとの認識を深め、同時にそういう場所だからこそ銀時が生まれたのかもしれないと。
怖いもの見たさの興味がそそられて、他にはと問う土方へ銀時が首を傾げた。
「他ァ? 一言で説明すんのは難しいな」
「へぇ、ちょっと見てみてぇな」
「…………………………」
「禁忌の森より強ェ魔物とかいんだろ? テメェみたいのが大量にいるなら勘弁だけど、腕試しにゃ良さそうじゃねぇか」
「あー銀さんなんて良い方だから、皆人の話聞かねーわ、人の名前覚えねーわ、会話が噛み合わないわ、そりゃもう散々なもんだよ、ウン」
「テメェとどこが違うんだよ」
「………………………………………」
酷い、と呟いた銀時は空を蹴る仕草でスピードを上げると、厚い雲目掛けて急降下する。
身を縮めて向かい風をやり過ごしながら土方は、遥か遠くに見える水平線の先を想像して笑った。
終わりがある世界だなんて、面白いことを言う。
土方の知る世界だって有限で、銀時が言うように終わりがないとは思えない。
狭い枠組みの中で居心地の良い場所と悪い場所を分けているだけ。
足掻いて、都合の悪いところから目を逸らして逃げている自分を理解しているのに、向き合うことが出来ずにいる。
家を嫌っているくせに、離れられない矛盾が可笑しくて、情けなくて自嘲に唇を歪めた。
「マスター着いたよ」
言うなり向かい風は止み、ふわり下りてくる前髪と共に重力が肩に圧し掛かる。
銀時の背中から下りて感じる日差しは柔らかく、仄かな冷たさを伴って心地良い。
見渡せば切り立った崖の上、背の低い草の生えた場所に銀時は丸まっていた。
「どこだ?」
「さぁ、こないだ散歩してるときに見つけたんだけど。ここ、昼寝に気持ち良さそうじゃね?」
「テメェの基準はそこか」
「ちょっと魔界にも似てるしね。冬と夏の中間見たいな場所でしょ?」
「秋っていやそうかもしんねェな」
「いや、冬と夏。魔界にははっきりした陽気しかねーから。ここもそうなんだけどマスターちょっとこっち来て」
尻尾で示す風景の先、一直線に亀裂の入る空は左右に色を変えている。
厚く幾重にも重なる鈍色と、薄く透けるような雲は確かに同じ季節にあるものとは思えずに。
目を凝らそうと踏み出した一歩は柔らかく巻きつく尻尾に止められる。
「落っこちるよ」
「あ、あぁ」
呆然と相槌を打つ間も視線は景色に奪われたままで、知り得ぬ情景にただ見蕩れていた。
こんなにも不思議な光景が魔界では普通だと言うのか。
思う土方へ銀時は、似てるだけだけどねと釘を刺す。
「ここまで過ごしやすいわけじゃねーけど。マスターが見たのは冬の方だったか」
「俺が見た?」
「夢で見たんでしょ、俺の記憶」
「……………………………」
「マスターの家よりもっと北かな、空も地面も雪まみれで」
見渡す限り白の世界だったろ、と言葉を切った銀時が、尻尾を解いて隣に並んだ。
長い鼻先が空気の匂いを捉えてひくついている。
僅かに開いた口、除く犬歯は鋭くて、やはりこいつは獣なのだと実感させられた。
硬い爪も、漏れ出す魔力も人とは何もかもが違う。
「どうして、俺にお前の記憶が見えたんだ?」
「多分、契約が仮のままだから逆流しちゃったんじゃね? 俺にも詳しいことは分かんねーけど」
遠くを眺める銀時を、土方は弾かれたように振り返った。
「お前でも知らないこととかあんだな…」
理事長の話から察するに、遥かに長く生きているらしい銀時にも、知らぬことがあるとは意外でしかなくて。
特に、魔法に関することで幾度も驚かされた経験があるだけに、違和感を覚えて仕方ない。
どこか頭の片隅で思いこんでいたのかもしれない、銀時は何でも知っていると。
葦原 瑞穂