scarecrow/6〜深雪の果てに 04



寝返りを打ちながら小さな呻き声を上げた土方へ、いい加減起きなさいよ、と聞き慣れぬ響きが届いて。
顰め面になって温もりを求めて縮まった体はしかし、慣れた感触を見つけられず違和感に目蓋を持ち上げる。
ぼんやりと瞬きした土方の髪を掻き混ぜる長い爪、どこかで見た顔が呆れた色を滲ませて溜息を吐いた。

「あんたいつまで寝てるつもり? もう夜よ。ご飯いらないの?」
「…………………………………」
「なくていいのね?」
「…食う」

片手を腰に当て、返答を待つ女性はイライラとした表情を隠しもせず長い髪を掻き上げて。
女性にしては低めの響きで小言を連ねるのが、二番目の姉ということに思い当たれば体裁も繕わず怠惰に起き上がる。
土方を抱き込んで寝ていたはずの銀時の姿は見つからず、丁寧に布団が掛けられているところを見ればどこかへ姿を眩ませたのだろうか。
大きく伸びをして首を鳴らす土方が、髪を手櫛で整える姿は目の前の女性と良く似ていた。
指摘する者もいないままに部屋を出ようとする土方に、意味深な声が掛けられた。

「随分難しいこと出来るのね」
「あ?」
「これ、浮遊魔法でしょ? 力技ばっかでコントロール苦手なあんたにしちゃ珍しいじゃない。ピクリとも動いてないわ」
「…………………………………」

親指で示した先の宙に浮く枕は、寝入る前に銀時が魔法を掛けたモノ。
姉の言う浮遊魔法とはどこか違う様相を呈していると思うのだけれど。
視線だけで注視した枕、違和感に気づいたのか姉は違うのと問いを重ねてくる。
曖昧に濁した言葉から考え込むように顎に手を添えた姉が、綺麗に描かれた眉を片方跳ね上げた。

「それともこれ、静止魔法? あんたそんな高度な魔法どうして…」
「浮遊魔法だ、それは。課題なんだよ、休み明けにテストなんだ」
「そんな課題出てたっけ」
「補習だ」
「…………………………………」
「…………………………」
「魔風堂のキャラメルレアチーズで手ェ打ってあげる」
「…一個」
「十個」

人差し指を唇に当て、蠱惑的な笑みを象るのは脅迫でしかなく。
男性には効果があるのかもしれないが、土方にとってはただの恐怖の対象だ。
良く似ていると言われるとはいえ、スマイル時価の土方に対して姉はスマイル0円(ただしタダより高いものはない)と言われていた覚えがある。
言い淀む土方はそれでも、姉相手では怒鳴り散らすこともできず肩を落とした。
補習があるということがバレれば、この姉よりも面倒くさい兄やら姉やら両親が出てくる。
それぞれと対峙する労力を思うなら、懐を痛める方が幾分マシだ。
もっとも、使う宛てのない小遣いだから構わない、ただ素直に頷くのが嫌なだけで。

「…三個」
「七個」
「五個」
「うーん、仕方ないわね。五個で良いわよ、貸し一つね」

明日宜しくね。
ひらひら手を振って追い抜いて行く姉へ聞こえぬよう、ちゃらじゃねェのかよというのが精一杯な土方が、浮いたままの枕へ視線を投げる。
あの時銀時は詠唱も何もしなかった。
簡易魔法を唱えるように印を結んだだけで、それ以外に行動を起こしているようには見えずに。
そもそも、投げた枕が落ちてくる時間にどれだけの呪文が唱えられるか、考えれば考えるほど募る違和感。
不思議に思うものの、どうしてだか誰かに教えることは躊躇われるから、吐かなくて良い嘘まで口にした。
銀時の存在を、姉にまで隠したのはどうしてなのだろう。
自分自身も分からぬまま最後まで枕を見つめ、そして扉を閉めた。



「すっげーマスターに似たお姉さん。だけど土方くんのが美人かな」

銀さんはどっちかって言うと自分の魅力に気付いてない子が大好きです。
主人のいない部屋で一人呟くと、長い尻尾を伸ばしてぐん、と伸びた。
暗いベッドの下、小狐がもぞもぞと這い出てきて、空へ跳ねたかと思えば一回転、人型へと変身する。
癖のある髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜた銀時は、毛並みの良い尻尾を検分しながらすげーと零した。

「掃除完璧。マスターっておぼっちゃまなの? つか、やばかったァァァァ。こんなんでバレたら困るっつーの」

ふ、と吐息を拭きかければ、途端に重力が掛かる枕が音を立てて布団へ落ちる。
力無くそこにあるだけの枕をどうするでもなく、乾いた唇を赤い舌で潤せば。
口角が上がり笑みを刷く表情が固まった。

「さてと、今のうち。ごめんね、ちょっとだけ好きにさせてマイマスター」

今までの所業を知った上での発言か、土方がいればそう怒ったことだろう。
容易に描ける怒号を思い浮かべた銀時が呪文を一つ二つ唱えて。
音もなく床へ降り立つと、長い毛の絨毯に僅かな窪みと影を残しただけで姿は風景と同化する。
怠惰な仕草で腕を回しながら銀時は、土方たちが去った扉から外へ滑り出たのだった。


* * *


部屋に戻れば、枕は布団の上に落ちていて灯りも消えた室内に銀時の気配がない。
折角食べ物を持って来てやったというのに、どこをほっつき歩いているのか。
帰ってきたら怒鳴りつけてやろうと思って息詰まる。
そもそも食べなくても平気な使い魔のこと、銀時が平然として毎日食卓を共にしていたから失念してた。
嬉しそうに、アレも食べろコレも食べろ、でもこれはください、とか使い魔のくせに人のおかずを取ろうとしたりする。
その度に食べたくもない食事を無理して食べる羽目になっていることに気付かされる。
鬱陶しげに溜息を零した土方がローテーブルの上に膳を置くと閑散とした部屋へ荷物が運び込まれていた。
杖だけを手元に置いて横目で見遣る荷物の中、幾つかの課題を思い描いて取り掛かろうかどうしようかと。
明日近藤と遊ぶならば、先に課題を片付けておいた方が良いだろう。
元より今できることを先に持ち越せない性質だ。

「片付けちまうか」

よし、と腕まくりをして机へ向かう。
何より銀時がいない方が課題がはかどるに違いない、そうして羽ペンを走らせ始めるがしかし。
集中が途切れて上手いこと進まない。
課題自体は簡単なものなのに、書き直しが重なるとどうしたって苛立ちが募って。
何度目になるか分からないミスを見つけて用紙を握り締めた。
丸めて放り投げても発散できぬ鬱屈を抱えても尚、続けるのは最早ただの意地。
満足行く所までの回答を脳裏に描き、そのまま指先を動かすだけの作業をどれだけしていただろうか、扉の軋む音にペン先を止めれば。

「わー、マスターが羽ペン使うって何かエロイね」
「…………………………………」
「ふわっふわの毛先がこう、ね。羽ペンてこそこそ動くしさァ、それでマスターの体を」
「テメェどこに行っていやがった」

思いきり不機嫌な声音に銀時の片眉がぴくりと跳ねあがる。
耳を土方の方へ傾けながら、尻尾を機嫌良く揺らす銀時がきまり悪そうに頭を掻き混ぜた。
隠し切れぬ喜びが現れるそこを忌々しげに睨み上げ、嘆息することで感情を逃がすとローテブルの上を指して。

「食うなら飯そこにあんぞ」
「…………………………………」
「マスター…!!」
「何だよ。いらねェならそのまま」
「どうしたの急にめちゃめちゃ優しくなって! 銀さん泣きそう!!」

駆け寄り、座る椅子ごと抱きしめてくる銀時の腕の力が強い。
低く唸った土方が逃れようと足掻くのだけれど、それ以上に銀時の喜びの方が大きいようで非難の声は届かずに。
頬を擦り寄せてくるのに鬱陶しさを覚えながらもどこか安堵するのは、日常となっていた喧騒が戻ってきたからだろうか。
途切れ途切れになっていた感覚が鮮明になり、知らず零した吐息に銀時が首を傾げる。

「マスター?」
「食わねェのか?」
「…食べるけどォ」

存外素直に離れた銀時が顎を人差し指で掻きながら、一人納得して頷いた。
勉強机が見えるようにローテーブルへつくと、品数に目を瞠りつつ頬張る。
行儀悪く食事で両頬いっぱいにして、フォークで土方を指さすと目許を弛めて悪戯な笑み。

「俺がいなくて寂しかったの?」
「………はァ?!」
「だって、戻って来たときホッとした顔してたもん」
「…………………………………」
「あん時の顔すんげー可愛かったァァァ。銀さんの心に永久保存しといたから。つか保護しとくから」
「脳内メモリーどころかテメェそのもの消去するにはどうしたらいいか教えろコルァ」
「マスターと一緒に消えるなら本望です」
「馬鹿言うな、俺ァテメェのいないところで天寿を全うしてやらァ。120年は生きる」
「うん、長生きする気満々だね。しかも平均寿命軽々超えて宣言するあたりマスターだと思います。でも大丈夫。絶対幸せにするから、だからヤラせて…じゃなかった結婚してください!!」
「どっちも悪いわァァァ!!」

インク壺を掴んで投げつければ、墨色の弧を描いて銀時を狙う小瓶。
的中の放物線を辿るそれを見ることなく銀時は人差し指を立てて印を象れば。
枕と同じように止まる瓶、零れ出たインクでさえも珠になることなく流線型のまま止まっている。
立ち上がり、瓶とインクへ指先を伸ばすと柔らかな弾力でもって押し返され、咄嗟に引いた手には微かに映った墨色。
指を擦り合わせて広がる色彩は見る限りただのインクのようだった。















−つづく−

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葦原 瑞穂