「手、怪我してるでしょ、マスター」
「…………………………………」
「治したいんですけどォ」
「必要ねェよ、さっさと行け」
視線を床に投げ、適当に手を振る土方に肩を竦めた銀時が寒空に身を投げ出す。
速攻で行って帰ってくるから浮気しないで待っていて。
相変わらずの余計な一言を付け加えるとそのまま白の彼方へと飛んで行った。
寒風が吹き入る窓を閉めると、靴も脱がずにベッドに上半身を投げ出した。
軋みもせずに受け止めたベッドに伏して、布団へ爪を立てる。
いつ帰って来ても息が詰まる家だ、そこかしこに監視の目があるような気がして落ち着かない。
検出魔法をかけようとして、手元に杖がないことに気づけばもう、何もする気が起きなかった。
取りに部屋を出れば、誰と鉢合わせるか分からないのだ。
いくつかの顔を思い描いて、当たりと外れに振り分けたところで零れた長い溜息。
「だる…」
寝がえりを打って抱き込んだ枕は清潔な洗剤の匂いがして、寮生活との違いを覚える。
寮の枕は洗剤の匂いと自分と、銀時の匂いが染みついて離れずに、それが喧嘩の発端になったこともあった。
のびのびと喧嘩して怒鳴って、感情の赴くままに行動できる時間の幸せが、息の詰まる空間の中切々と感じられる。
一分一秒が長く、何にも手に付かない時間を持て余して重い体を起こすと窓へ足を進めた。
窓枠に寄りかかって、遠い景色に目を凝らしながら銀時を呼んでみる。
使い魔と魔法使いならば微量な魔力を介して意思の疎通ができるはずだ、但しそれは信頼関係があってこそなのだけれど。
「俺とアイツに信頼関係か。あって主従関係…いや、無関係が良い」
「マスター呼んだ?」
「うわ!」
ガラス越しにくぐもった声が聞こえて仰け反れば、体中を雪で覆われた銀時が窓を叩いていた。
銀色の髪が真っ白に、老人にでもなったかのような風体に噴きだす。
外へ向けて開いてやれば、中に入る前に身震いした飛沫が頬へと。
冷たさに片目を瞑ると、頬を舐め上げてくるから張り手で引き剥がした。
「近藤さんいたか?」
「ああもうスルーなんだ、マスターだんだん離婚寸前の熟年夫婦みたいな反応になってきてるよ。もっと新婚らしくいちゃいちゃラブラブしようよ! 外の雪を溶かすくらいに」
「ぐちゃぐちゃのどろどろになるまで煮込んでやろうか。外の雪を溶かすくらいのマグマで」
「…………語感が似てるのに意味が全然違う、ね」
棒読みで酷くね、と恨み事を連ねてから土方に抱きついてくる銀時の体が芯まで冷たい。
引き剥がそうともがいても、わざと体を寄せてくるせいで鳥肌が全身に広がって。
前髪を逆側に引っ張ればがくりと首が仰け反る。
それでもしがみついてくる銀時をどうこうするのを諦めて、寒いとだけ文句を言えば、はたはた揺れる尻尾が体に絡みついてきた。
多分に水気を含む尻尾を巻きつけられたところで温かくなるとは思えなかったけれど、予想に反して取られた手首、冷えた頬に押しつけられた手のひらが心地良い。
そう言えば火傷をしていたような、そう思い出す事実と、押し当てられた舌、微かな光が手のひらから零れて消える頃には綺麗に傷は消えている。
残る感触が不快で、思いきり銀時の服で拭くとさすがに怒ったのか舌先を押しつけてきた。
頬と目蓋を舐められれば反射で瞑った瞳、ついで唇に慣れた感触がして腹部に膝蹴りを叩きこむ。
唇を離さぬまま銀時は土方ごとベッドへ倒れ、ごろごろと転がった。
「ちょ、テメェ離せ! 俺まで巻き添えにすんじゃねェェェェ」
「おー布団ふっかふか。でもここマスターの匂いしないね」
「当たり前だろうが、ずっと帰ってねェんだから」
「つーかこの部屋にマスターの気配が少なくて何か物足んねーの。あああ、マスター不足、補給させて下さい、お願いします」
「枯渇して死ね!!」
「生きる! つーか何マスター死ねって口癖? 究極のツンデレってことで良い?」
「はァ? ツ、ツンデレ? 何だそれ」
「知らないかァ。マスターみたいにものすごく可愛い子のことです」
「テメェ脳味噌腐ってんのか?」
辛辣に言い放てば渋々と離れる銀時が、枕を抱え込んで顔を埋める。
これにはマスターの匂いがするとの言葉に、先ほど抱き込んでいたかと思い至るがしかし。
「テメェに言われるとどことなく変態くせェのは何でだ」
「銀さんものっそピュアなんですけどォ。純粋にマスターの匂いに興奮するよ!」
「そこが変態くせェっつってんだよォォォ! ちっ、それより近藤さんは何だって?」
「明日遊びに来るってさ。今日は雪が降ってるから無理っぽいけど」
「ふん、ちゃんと行って来たんだな」
余りに早い帰りにてっきり放棄したかと思ったが。
暗に含ませて言えば、銀時は枕を宙に放り投げたり受け止めたりしながら土方の方へ視線を投げる。
受け止めたそれをもう一度放って、指先で簡単な印を結んだかと思えばピタリと制止する枕。
浮遊魔法とも違い、放り投げたままで止まる枕が珍しくて間近で見ようと体を起こせば伸びてきた腕に留められた。
「だって、マスターから御褒美貰えるんだもん、頑張っちゃうよ」
「誰もやると言ってな……んッ」
覆い被さってくる銀時の体をいつもなら押し退けるのだけれど、未だ冷たい唇を押し付けられては邪険に出来ぬ自分が疎ましい。
それでなくとも銀時とするくちづけは心地良くて癖になる。
けして好きとか嫌いとかそんな難しいことじゃなく、単に楽になるのだ。
銀時にくちづけられると、無意識に蓄積された疲労に気づかされる。
体から余分な力が抜け、ふんわりと軽くなる感覚は男にくちづけられるリスクを差し引いても魅力的に思えるがしかし。
認めるのは業腹で、強引に侵食してくる銀時を許してしまえば、どこまで入り込んで来るか分からずに。
せめて口先だけでも抵抗していなければ体裁が保てない。
顎先を掴まれて仰向かされると、尖らせた唇が上唇を突けば開けと言う合図なのだけれども。
従うのが嫌で、真一文字に引き結んでやれば僅か離れた唇の合間に銀時が笑った。
鼻先を撫でる吐息、焦点の合わぬ瞳で銀時を探せば、赤い虹彩がきらりと光る。
嫌な予感がしたのもつかの間、土方の抵抗を許さぬように抑えつけ、角度を変えてぴったりと唇を塞がれた。
「んン? ……………ッふ!」
まずい展開に体を捩るものの、銀時は唇に歯を立てて引っ張り、舌を捻じ込んでくる。
食いしばる歯列をねっとりと舐める舌の鮮烈すぎる感覚に喉を引き攣らせると、分かっていたかのように指の背で逆撫でされるから、声を漏らして弛めた唇は為す術もなくそのまま。
上顎と柔い頬の内側をねぶる舌は逃げる土方の舌を捕まえて、余すところなく絡めて吸われる。
意識と魔力が綯い交ぜになって痺れて行く脳髄、指先から抵抗の意思が零れて行くみたいに、くったり力が抜けて動けない。
されるがままに好き勝手する舌から逃れる素振りを見せれば、追いかけて執拗に弄ばれるだろうことなどとっくに予想がついていて。
けれど困難になった呼吸が息苦しさを全身に訴えるから、背中を叩いて終わりを促した。
淫猥な水音をこれ見よがしに立てる銀時が、鬱陶しそうに身を捩って土方の手を止め、塞いだ唇を最後とばかりに絡めた舌を食んで離れる。
荒い息を吐く唇を再度啄めば、力無く擡げた腕が銀時の肩を打ち、
「……から、舌、…れんじゃね、って………」
隠し切れぬほど縺れた口調で可愛くないことを一生懸命に綴った。
はぁ、と熱っぽい吐息を零す唇がてらてらと光り、潤んだ瞳を隠すように落とした目蓋の端が赤く染まっている。
日焼けしていない肌と癖のない漆黒の髪、艶めいて光る充血した唇との対比が酷くいやらしい。
思わず嚥下した音が聞こえたのか、肩を揺らした土方が視線だけ銀時へ投げて何だよと。
「マスターいつまで経っても慣れないね」
「……うっせェ、ンなこと慣れてたまるかボケ」
「積極的なマスターも良いけど慣れないマスターも可愛いから良いんだけどね、うん」
「もう、お前ホントいい加減にしろ」
銀時と話していると、余りの言葉の通じなさに頭がパンクしてしまいそうだ。
時に切れて手が出てしまうけれど、不思議と心底からの不快感は感じない。
閉塞した家族と話す窮屈さよりもいっそ、すれ違う意思の疎通の方が楽で心地良いのは、表面を撫でるだけじゃない会話があるからだろう。
通じなくても、台本を読み上げるような会話よりは格段に良いと、嬉しそうな銀時の尻尾を捕まえて引っ張った。
「イテテテテ、マスター我慢できるぐらいに痛いよ!!」
「狐になれ。でかくても小さくても良いから。そんで枕になれ、眠い」
「人型で充分でしょ、ホラ抱き枕」
「こんなごつごつした枕不良品だろ。つか寝辛い、感触が悪い、居心地が悪い。気持ち悪い、それから」
「うん、もう分かったおやすみなさい」
土方の命令を無視して抱き締める腕に、固いと文句を言いながらも委ねる。
本当は眠くなんてないけれど、銀時の気配が寮にいる時を思わせるからもしかしたら。
収まりの良い場所を探して脱力した土方を、宝物のように抱えた銀時もまた目を閉じた。
葦原 瑞穂