唇が意志とは裏腹に勝手に開く。
応える気などさらさらないというのに、是と音を発しようとするものだから、土方はぐっと唇をかみしめた。
頭の中がうわん、と揺れて、視界が霞んでくる。
腕にかかる力が強くなると膝から下の感覚がなくなり、漸く二人がかりで魔法を掛けられているのだと理解した。
じわじわと真綿で締め付けるようにゆっくりと侵食してくる遅行性の魔法。
それがどんな類のものだか考えるには土方の分が悪すぎる。
心臓が嫌な風に鼓動を打って、冷汗を掻き始めるのを知られたくないと、挑戦的に瞳を瞬かせた。
「ずいぶんといい趣味してるじゃねェか…。いつから詠唱してやがった」
「おや、もう気づいたのかい? 相変わらず敏感なことだ」
「悟られないように幾重にも魔法を掛けていたというのに」
「っは、下手くそのやることだ、分からねェはずがあるか」
「まぁそう言ってくれるな、土方君。魔法に気づいたとは言え、君に解除できるはずもない」
「そうだ、君はもう俺たちの望むように答えるしか道はないんだよ。歯がゆいだろうねぇ」
「誰がテメェらの言いなりになんざなるか!! 言う通りにするくらいなら、死んだ方がマシだ」
焼き尽くすような視線でもって睨む土方を物ともせずに二人、唇を歪める。
それが笑みだと理解するより先に、頤を掬い上げられて固定された。
「どうして、たかが雪合戦だ。そんなにムキになることもない」
「どっちが…!! それこそたかが雪合戦だろうが」
「正直面白くない。その使い魔が来てからと言うもの、君は付き合いが悪くなった」
「決闘を申し込んでも、話しかけても。君の中心にはその使い魔がいる」
「……………………」
「だから僕たちは合法的に君とその使い魔に距離を置かせたいんだ」
魔法使いの雪合戦は、子どもでも大人が行うにしても、勝った方は何でも一つ要求することが出来る。
それは他愛のないものから、アンダーグラウンドのものまで。
契約は絶対な魔法使いの世界で、子どもたちは遊びを通じてそれを学んできた。
成長しても変わらず、時には口に出せぬような重要事項でさえ雪合戦で決めてきた歴史もある。
伊東たちが言う「土方自身を賭ける」というのが、銀時との別離を示すなら。
「上等だコルァ!! ンなまどろっこしいことなんざしなくても、こちとら縁切りたくてうずうずしてんだよ」
「それは好都合だ」
「だがな、誰かに指図されてこいつ手放すくらいなら、死ぬほど嫌でもこいつといた方がマシだ!!」
無理矢理魔法を解こうと全身に込めた力。
ありったけの解除呪文を唱える度に、反対呪文が発動して痛みが伴う。
絡みつく魔法はトゲでも生えているようで、そこかしこに疼痛を齎しては土方を苛むがしかし。
それでも強引に破ろうとすれば、グラスにひびが入るような音が立った。
ピシ、と切れた音を探した先、土方の頬が薄皮一枚裂けている。
うっすら滲む血をそのままに拳を握り締めたそこにも筋が入って。
鋭利な刃物で表皮だけを傷つけられたような跡が幾筋も増えていった。
「無茶をする。大人しくしていれば痛みもないのに。君らしいと言えば君らしいが」
「自分に正直になるだけで、この状況から解放される、それでは不満かな?」
「大いに不満だコルァ!! こんなもん痛ェうちに入らねェんだよ」
「ほぅ、そんなにその使い魔が大事だと」
「ンなこたァ一言も言ってねェ!! テメェらの指図を受けたくねェだけだ!!」
怒鳴った土方の体が大きく引き攣ると、取り巻く呪文が刹那具現化する。
濃い赤紫色の呪文が、土方の体に巻きついて一瞬だけ緩んだ。
バチッ、と放電するような音の後、締め付けの強くなった魔法で息が詰まる。
それでも強引に弾こうとすれば、ゆら、と大気が歪んだ。
「えええ、マスターそこは素直にならなきゃ。銀さんと離れたくねーって言ってよ」
「…………………………」
「おまっ、起きて…!!」
「いやいや、あれだけ大声で騒いでれば気づくでしょ、普通に。てか気付かないってどんだけ鈍いの銀さんは」
「テメェなら図太くそのまま寝てんのかと思った」
「ちょっ、おま、しんみり言うんじゃねェェェェ!! マジっぽい顔やめてください、お願いします!!」
土方の肩の上で小さく伸びをした銀時が鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐとくしゃみ一つ零して頭を振った。
「ふぅん、随分時間かけて重ねた割に、大したことねーな」
「オイテメェどういう意味だ」
「マスターは迂闊さんでもね、うん。すごいってことだよ」
「お前に言われると馬鹿にされてるような気がするのはどうしてだ」
「うわ、褒めたのにそれって酷くね? 別に動けないのをいいことにここでマスターにちゅーしてもいいんだよ」
「捻り潰して窓から捨てた上に定春の餌にすんぞ。」
「できるものなら。でも俺、戻ってくるよ、絶対。マスターのいる場所はどこだって分かるんだから」
意味深に笑う銀時の底知れなさに肌が痺れるのは何も、土方だけではない。
伊東と北大路は知らずに喉を鳴らすけれど、銀色の狐から目が離せずに。
膠着した状態のままいるのに銀時は構わず、尻尾をふらりと揺らす。
柔らかく癖のある毛並みが一瞬膨れたかと思えば、ゆっくりと土方の頬を撫でた。
途端、ガラスの割れるような音と共に、土方の体に感覚が戻ってくる。
恐る恐る開いた指先は土方の思い通りに動き、息苦しさも忘れて深く息を吸い込んだ。
「な……っ、何をしたんだ君は」
「マスター大丈夫? あーぁ、こんな傷ばっか作って」
「大したことねェ」
「って言うと思った」
もう少し自分のこと省みなさいよコノヤロー、むくれた顔も可愛いな。
一言余計に付け加えた銀時が紅い舌を出して頬の傷を舐める。
瞬間、浅葱色に発光したかと思えば、傷は跡片もなく消え去っていた。
痛みが引いたことで悟った土方が、呆然と頬に手を当てる。
「な、おまえ…」
「手も怪我してんね」
ペロリ、可愛らしい舌が撫でた後に消える痛み、銀時が回復魔法を使えるなんて知らなかった。
知っていたなら、ちくしょう、助けなきゃ良かった…!!と頭を抱える。
やる気のなさそうに尻尾を揺らして土方の傷跡を舐め続ける銀時をじと目で見遣れば。
「マスターそこ!? 感謝じゃなくてまず後悔!? ちょ、それないわー、マスターじゃなかったら銀さんアレだよ、尻尾に訴えてたから。原型に戻って絞めてたわ、首とか胴体とか主に首を!!」
「テメェ回復魔法使えんなら何であの時ボロボロだったんだよ!!」
「えー、アレは諸事情ありまして。別に食料横取りとかしたわけじゃないんだから。ただ、お腹がすいてたんです、ものすごくすいてたんです!!」
「オィィィ、理由それじゃねェかァァァ!! 人の食糧取ったからだわ、このアホが!!」
「生きるためだよ」
「何そのジャングルの掟語ってるときみたいな顔!! うっわぶん殴りてェ、いやむしろ殴っても良いな。そこに直れ、三度殴ってやっから」
「何で三度?」
「現在過去未来、すべての俺からの鉄拳だ」
テメェの記憶抱えたままこの先過ごす慰謝料みたいなもんなんだよ、と言っても銀時には届かずに。
そうか、未来もあるんだと弾んだ声、盛大に舌打ちした土方を銀時はさらりと無視した。
これは絶対に土方の意図を正確に理解した上での行動だろう。
その証拠に瞳を輝かせて揺らした尻尾がくるん、と空を向いて丸まっている。
「マスター将来も俺と一緒にいてくれんの? おわ、これちょっ、プロポーズ? オッケーです、子作りしてください!! あ、間違った。俺とめくるめく官能の日々に爛れ落ちてくださいってんだコノヤロー。よし、取り敢えず初夜は十四郎君の家で良いよね、優しくするからお願いします」
「何をだァァァ!! 訂正も大きな間違いだバカヤロー!! っていうかお前の存在がそもそも間違いだろうがァァァ」
「え? 銀さんと間違いを犯したいって? ちょ、お前そんな昼間っから大胆な。取りあえずここで始めるにはアレかな、結界張っとけばいいよね。それとも見られてると興奮するとかァァァ?!」
「落ち着けェェェ!! おまっ、どっから突っ込めばいいのか分かんねェから取り敢えず死んでくれ。むしろ俺の記憶ごとどっか消えてくなくなって下さい」
お願いします、と怒鳴った土方に、銀時はふさふさと尻尾を揺らして答えた。
いやだもん、何て可愛らしい口ぶりが一層に憎らしくない上に気色悪い。
悪寒を走らせた土方が自分の体を抱えると、掠れた響きが途切れ途切れに聞こえる。
「? 今何か」
「土方君…君はその使い魔に今、何をさせた………」
「あァ? 俺ァ何も…」
別にと言いかけた土方の言葉が切れた。
蒼白な表情に冷や汗を浮かべた北大路と伊東が、がたがたと震えている。
常になく余裕を失っている二人の様子が余りにも異様で、土方は眉根を寄せた。
「オイ、どうした」
「どうしてこんな…、まさか」
口許に手を当てて前に傾ぐ伊東と北大路へ、土方が腕を伸ばしかけたところに重なる手のひら。
ぼふ、と立つ煙、背後に温もりを感じて見上げる。
少しだけ浮いているらしい銀時を振り仰げば、濁った瞳が瞬いた。
葦原 瑞穂