由貴は初めてだから、今日のところは番になるための行為を一度きりにしようと思っていたが、全く治まらず。気付いた由貴が「大丈夫」というので結局それから追加で二度。
終わって風呂に入る頃には、体力が切れたのか由貴はウトウトと船を漕いでいた。あのまま一人で入浴させてはシェアハウスの時のように湯船に沈んでいそうだと思いながら、准は由貴と二人で湯に浸かり、こっそりと安堵の息を吐く。
「 ……」
こっくり、こっくり。ついには、立てた膝に両腕を重ねて、その上に突っ伏してしまった。やはり体力的に無理をさせたか。
「…………」
何はともあれ、番である。
成立したのである。由貴の項に残る自分の噛み跡を見下ろして、准はにやつく表情を隠すように口元を手で覆った。
高校に入学した頃の自分に、「将来お前、クラスの地味め印象の同性のやつと番になるぜ」と言っても、
(信じねーだろうなぁ、多分……)
当時の准にとって、「栗栖由貴」という人間はそのくらいの存在だった。同じクラスにいる相手として名前と顔は一致するけれども、ただそれだけ。由貴が口にした「共通の話題とかないだろうし、卒業まで一度も喋ることないだろうなって思ってた」という言葉は、実のところ准にも当てはまる。
好きでも嫌いでもない。そのどちらかに振り分けられるほど、高校三年の夏までの准は由貴のことを知らなかった。家事と相性が悪いが、運動神経が悪いわけではない。体育の授業でチームで分かれて球技などやれば、意外にもそれなりに卒なくこなす。成績はいつも学年で両手の指には入っていたし、教師に呼び出されているところを見ることもない。
問題児ではなく、嫌な印象もない。かと言って「好き」と言えるほどの距離感もない。「とりあえず悪いイメージはなく好きでも嫌いでもない普通」というのが、由貴という人だったのだ。
あの時、声をかけて「由貴」を知らなければ、今でもそうだっただろう。数年経って同窓会で集まって、「あー、いたね」と話題の中で思い出す程度。
きっかけが偶然の産物とはいえ、そんな未来を思うだけで、今、こうしていられる現実にほっとする。
(今はこんなに離れたくねーって思ってんのになぁ)
背中から抱き締めると、気付いた由貴が顔を上げた。
「んぁ」
「あー、起こしたか? ……てか、風呂で寝んな」
「ん……んー」
眠気覚ましのためか、由貴が伸びをする。だが余り効果はなかったようだ。今度はこてんと准の鎖骨を枕代わりに頭を乗せてくる。
彼が身動ぎをする度に、ふわふわといい匂いがする。由貴のフェロモン。もう、准にしか感じられないもの。あの生放送での暴露がなければ、 番の目印が見えないものであったなら。由貴がオメガだということは、この先、准以外の誰にも分からなくなる。
「…………する?」
うとうととした瞳で由貴が尋ねた。
「いや、お前さすがに体力キツそう」
「………………だいじょうぶ」
「大丈夫そうじゃねーわ。今日はもうやめとこうぜ。……無理させた俺が言うセリフじゃねーけど」
散々無理をさせた准が言えた義理ではないが、それでも准は由貴を大切にしたいのだ。大事にして、うんざりするほど甘やかしたいのだ。
風呂から出て、由貴の着替えがないので、適当に准が持っている中からシャツを着せた。着せてから気が付いたが、これは俗に言うアレである。
(彼シャツ……)
基本的に准のやることに疑いを持たない由貴は、今も「ほれ、とりあえずこれ着てろ」と渡されたシャツをすんなりと着た。准が持っているものの中でも少し大きめのものを選んだので、由貴が着ると普段ボクサーパンツを履いている裾のあたりまでは一枚でカバー出来ている。
とにもかくにも時間は既に深夜なわけで、それからすぐにベッドに戻った。先日とは違って、同じベッドで眠ることを承諾してくれた。
ベッドサイドからリモコンを手にして、消灯する。
「……シノ、起きてる?」
うとうとしてきた頃、傍らの由貴から声が聞こえた。
「…………ん?」
「あ、寝てた?」
「いや、平気。お前こそ目覚めた?」
「うん。ちょっと……」
ライトをほんの少しだけつけると、由貴が布団から顔を出してこちらを見ている。
「一つだけ、聞いていい?」
「ああ。どうした?」
「シノが、俺のことを好きでいてくれるのは分かったんだけどね……、……なんで、俺だったの?」
「なんで?」
なんで、とは。
「……もっと、他にお似合いの人もいたじゃん。アメリカでも女優さんとかにモテてたの知ってるよ。その中に、オメガの人もいたよね。……そういう人たちじゃなくて、……なんでわざわざ俺みたいなの選んだのかなって」
彼本人と紘から生い立ちの話を聞いた後だから、由貴の自己評価の低さもわからないではないが、それにしても低すぎる。他人が由貴を評価した時の一割もないのではないか。
「分かんね」
「…………分かんない?」
「きっかけとかは分かるけど。なんでお前なのかって言われたら、分かんねーわ。逆に、お前はなんで俺なわけよ」
逆にそう尋ねてみると、由貴は「うーん」と視線を外して悩んで。
「分かんない」
「だろ?」
「確かに分かんないね。なんでかって聞かれると……好きだから? としか」
「で、『なんで』好きなのかってなると」
「うん、分かんないや」
そう言って、ふふふっと嬉しそうに笑う。その顔が可愛らしくて、准は身を寄せて抱き込んだ。
「なぁ、由貴」
「なに?」
「……お前まだ、本当に『EDEN』抜ける気か?」
「……」
答えはなかった。
「言っとくけど、誰もすんなり賛成なんかしねえぞ」
由貴は一度、布団に潜り込んで、顔を隠す。だが、すぐに出てきて。
ルームライトのささやかな光が彼の瞳に落ちて、輝いて見える。
「……答えを、出すのは……」
やがて、由貴が口を開いた。
「明日、出掛けてからにしようかな……」
明日。
「……どこに?」
由貴は再び睡魔に忍び寄られてか、准の問いには答えず、ゆっくりと瞼を閉じる。
「……あのね、シノ、俺……」
ほんの少し呂律の回らない、小さな声。
「……明日……会いたい人がいて……」
その言葉が最後。あとは、すう、すう、と静かな寝息が聞こえてくる。
准は明かりを消して、今度こそベッドに横になった。
明日。
由貴が、会いたいのは。
目が覚めた。なんだか頭がぼーっとする。眠る時間が毎日不規則なせいか、由貴は寝起きが得意ではなかった。
ただ、昨日はきちんとベッドで寝たようだ。曲作りをしている最中に眠くなったら寝る、というスタイルなので、床で眠ることも少なくなく、日頃それを准に目敏く見付けられては叱られる。よく覚えていないが、ベッドまで辿り着いたのならば上出来であろう。
「…………」
ベッドの上に起きて、揺れる頭のまま、しばらく動かない。ああ、まだ眠い気がする。二度寝してしまおうかとそのままベッドの上に倒れ込むと、下半身から全身にかけて原因不明の筋肉痛が走った。
「いっ、た! ……いたたた……なに……?」
おまけになんだか首の後ろがむず痒い気がして、反射的にその場所に触れる。指先にぷつぷつとした感触があった。まるで、かさぶたのような。
「……?」
こんな場所を怪我した記憶はないが、何か。どこかに引っ掛けたか、あるいは 、と考えて、ふと、思い出した。
「あ」
その時、寝室のドアが開いて准が姿を見せる。
「はよ。メシ作ったけど食えそうか?」
いつもの准だ。彼は何をしていても格好いい。だが、それだけに昨夜のこと、何があったか頭の中に蘇ってしまって、由貴は声を上げて真っ赤になった。
「わー」
急に照れ臭くなり、隠れようと布団を被る。だが元々ここは准の部屋で、周りのものは全て准のもの。被った布団からもはっきりと准の匂いがして、余計に気恥ずかしくなった。
そうだ、思い出した。六年間ずっと好きだった准と、昨晩、『番』になった。その事実で頬が熱くなる。
「由貴? どうしたよ?」
覗き込んでくる准の何もかもが今までより甘い気がしてたまらない。つい、彼の色々なところに目がいってしまう。
例えば、シャツの向こうの胸板。これまでシェアハウスの中で准が着替えているところにかち合ったこともある。だが、セックスをする時は汗が浮いてあんなにエロティックになるなど知らなかった。他の人もそうなのだろうか。世の恋人たちは、みんなこの空気に耐えているのか。
「……今更ながらに昨日のことを思い出して、いたたまれなくなっています」
「何だそりゃ」
そう言って、准が笑う。
「起きられそうか? メシ、こっちに運ぶ?」
「?」
「いや、まぁ……、昨日結構無理させたし。体、しんどくね?」
体。
ああ、なるほど。
「この、ちょっと口に出せない所からの筋肉痛は、そういう……」
眠っている間は何とも無かったし、痛みで目が覚めるといったことも無かったが、起きてしまった今、少し身動ぎをするだけで筋肉痛というより鈍い痛みが突き抜ける。
ただ、きっと、これが准と番になったという確たる証なのだろうから、甘んじて受ける訳である。
「あっちで食うなら、運んでやろうか」
「ひぃ……シノがヘンゼルとグレーテルに出てくるお菓子の家レベルに甘い……きっと俺そのうちかまどで焼かれる」
「なんでだ」
結局、リビングまでは准が運んでくれた。それがまた、気恥ずかしく擽ったい。
「で、お前今日どこ行くの?」
「え?」
「昨日、寝る前に今日会いたい奴がいるとか言ってたろ」
「言ったかも」
よく覚えていないのだが、確かに寝入る直前に、そんなことを口にしたような。
誰に会おうと思ったのかは、覚えている。会わなければいけない、と思ったことも。
「……シノ、今日空いてる?」
「ああ、車出してやるよ」
「うん。ありがとう」
一人で会うのはまだ少し怖かったから、彼がそう申し出てくれたことはありがたかった。
この朝食を採り終えたら、部屋に戻って、着替えて。
「で、どこ行きたいんだ?」
行きたい場所。
会わなければいけない人がいる場所。
今日、いそうなのは。
「 ええ、はい。では、木曜日で。お待ちしております」
肩と首でスマートフォンを挟んで、仕事をしながら。電話を終わらせて、少し乱暴な仕草でスマートフォンを放り出す。ゴトン、と硬い音が鳴った。
「凪、木曜十五時。佐々木さん」
「はい。 肩、傷めますよ」
「しゃーない」
あの体勢で電話をすることは、肩と首に良くないと分かってはいるが仕方がない。何はともあれ予定の入力は息子に任せてパソコンのキーを叩く。
しばらく、そんな作業音だけが響く。二人しかいないので、どちらも喋らなければ静かなものだ。
ふと、ブイーっとスマートフォンの振動音が鳴る。また誰かから電話だ。まったくブツ切れになってしまって仕事が進まないと、少しだけ苛立ちながらスマートフォンを手に取る。
だが、そこに表示されていた名前を見て、思わず鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべてしまった。
まさか、「彼」から電話が来るとは。いや、以前一度着信があったが、それは自分から電話をかけた不在着信に対する折り返しのようなもの。それは既に片付いているから、毛嫌いしている自分に連絡をしてくるところに思い当たるものはなかった。
「 もしもし?」
何はともあれとその着信を受けると、表示されていた通りの人物の声が聞こえてくる。
『受付のお姉さん、アポイントがないとダメって入れてくれないからなんとかして』
「……は?」
つい先日、彼に会った。その時は何かに怯えるように、常に警戒していた。だが今電話の向こうから聞こえた声は、そんなものなど無いかのように臆せず堂々としている。
受付のお姉さん。その言葉から察するに。
「お前、今一階にいるのか?」
『うん。 話があるの。入れて』
聞くが早いか、席を立つ。
個人的な知り合いだと言っても、シンプルでありながら華やかなカウンターに座る二人組の女性は、困ったような、それでいて笑顔で「申し訳ございません」と答えるばかり。焦れて本人に直接連絡を取り、直談判することにした。電話を無視されるかもしれないと思ったが、幸いにして相手はすぐに応答してくれた。
右側にあるエレベーターが、一度最上階まで上がって、今度は下がってくる。最上階まで上がったという意味を察して、受付の二人の女性は互いに顔を見合せた。
やがて、エレベーターの扉が開いて目的の人物が姿を見せる。相変わらず他の存在全てを威圧するようなオーラ。だが、先日のような恐怖感はなぜだか感じなかった。
向かいの二人の女性が立ち上がり、頭を下げる。こちらにちらちらと視線を投げながら通りすがる、社員らしき人たちも皆、一度立ち止まってその男に頭を下げた。
男はそれに手を挙げて応えると、受付の女性に歩み寄り声をかける。
「こいつはいいよ。次からノーチェックで通せ」
「えっ? あ……、はい」
彼の後ろから来た、この間弟だと名乗った青年がそっと「どうぞ、こちらへ」と奥のエレベーターを示した。
「シノ……、行こ。ついてきて」
少し心許なくなって、隣の准を見上げる。静かに微笑む彼に、ほっとした。
エレベーターの中で、凪人が准に名刺を渡していた。その横で、あえて男の顔を見ず目的の階への到着を待つ。
「凪、コーヒー」
「はい」
重厚な木造りの扉を開けるなり、男は凪人へそう言った。彼も慣れたように給湯室へ入っていく。
重苦しい沈黙の中、やがてコーヒーの良い匂いが漂ってきた。
「 で? 話って?」
パソコンと書類が乗ったデスクに寄り掛かり、煙草に火をつけながら男が口を開く。
由貴は手を開いて、親指を折った。
「聞きたいことがあるの。四つ」
「へえ?」
由貴は一度、深呼吸をする。
まず、ひとつ。
「 どうしてお母さんと別れたの?」
自分が生まれる、少し前。一方的に番契約を破棄して、母を捨てた男。
だが、由貴は今、あえて「捨てた」という単語を使わなかった。なぜ、「別れた」のかと尋ねた。
それを、目の前の男が 、父が気付かぬはずはない。
「『捨てた』じゃなく?」
「…………その言葉は、もう使わない」
父は意味ありげに笑った。
「『運命』に出会ったから。同じオメガなら『運命』の方がいいだろ?」
由貴はその言葉を頭の中で何度も繰り返す。
「お父さんに、話聞いた。なんで、お父さんにお金渡したの? ……お金持ちなのは、知ってる。それでも、一億ってお金が安い金額じゃないことくらい、俺にだって分かる」
父はまた笑った。
「あとで訴えられたり、金せびられても面倒だから。和解ってのは、金受け取っちまえば成立するんだよ」
由貴はその言葉も、何度も頭の中で繰り返して、先程の言葉の隣に置く。
「お母さんが、この間入院したのは知ってるよね。病院で会ったもん。あの時、お母さんに何て言ったの?」
父は黙って笑う。
「言ったろ。今からでもお前の親権くれって言ったら、あの通り」
そう言って、先程火をつけた煙草を吸って、ふうっと息を吐いた。
由貴はもう一度、小さく深呼吸をする。
「最後。 二週間くらい前。俺の部屋に来た?」
准が後ろで、小さく「えっ」と声を漏らした。
だが、父は笑って、
「 何の事だ?」
と言った。
ああ、そうか、と由貴は思った。奈穂が、由貴がオメガであったことを、「母親だからか、なんとなく分かった」と言っていた。だとするなら、この男と自分が父親と息子だからなのか。
なんとなく。
なんとなく、 分かってしまった。
「……聞きたいことが五つに増えた」
「どうぞ」
四つの質問を経て、五つ目の質問が生まれた。
「 なんで、まじめに答えてくんないの?」
その時初めて、父だという男の本心が表情に現れた気がした。いつもオーラで人を威圧して、その一方、何を聞いてものらりくらり。からかうような、時には馬鹿にしたような言動で人を振り回す。
ただ、それもこれも全て、本心を隠すため。本音は別にあって、それを隠すためにそんなことを言っている、そんな笑みを浮かべている、そんな気がした。
「……やっぱり、どんなに嘘だって思ってても、父親と子供なんだね。……何ひとつ本当のこと言ってないって、……なんとなく分かる」
父は無言で白い煙を吐き出す。
「……俺が、今日ここに来たのは……、……会って、一度ちゃんと話をして、あんたって人のことを知らなきゃいけないって、思ったから……」
このままではいけないと思った。准と番になった今なら、彼と向き合うことが出来ると思ったから、ここへ来ようと決めることが出来たのだ。
「……中学の時に、あんたにお父さんと血が繋がってないって話聞かされて……、初対面の相手にそんなこと言うどうしようもないクズだって思ったけど……」
「お前がそう思ったなら、それでいいんじゃねえの?」
「よくないでしょ」
ここで、「それでいい」で諦めてしまえば、もう二度と、彼の本心を聞くことは出来ないだろう。
「……そもそも、俺の人生って……、」
由貴は眉を顰めて。
「生まれからしてあんたとお父さんとお母さんに相当振り回されてるよね?」
番を解消して、解消されて、一目惚れして、くっついて、復讐のために産まれて。それだけではなく、あれや、これや。
「こういう質問する権利は、あると思うんだけど」
しばらく、沈黙が続いた。真正面から、父の視線を受け止めた。ともすれば外してしまいそうになるそれを、今が正念場だと必死で耐える。
凪人が静かに動いた。准に歩み寄り、自分と一緒に席を外して欲しいという言葉の代わりに、准の背中にそっと触れて、部屋の外を示す。
それを制止したのは、誰でもなく父だった。
「凪、 いい」
席を外す必要などない、と。
ここまで言っても駄目かと由貴の心に暗雲が立ち込める。
だが、父はデスクの上の固定電話の受話器を上げて、
「陽いるか? ああ。いや、いい。社長室へ上がってくるように伝えてくれ」
先日も聞いた名前だ。確か、凪人の弟。……つまり、由貴の、下の弟ということになる。あの時は結局会わずに済んだから、ここへ来ると言うなら顔を見るのは初めてだ。
男は先程凪人から受け取ったコーヒーを一息に飲み干すと、カップを彼に渡す。
「凪、コーヒー。もう一杯」
「はい。……どうぞ、掛けて下さい。コーヒーも、新しいものをお入れしますね」
由貴と准にソファを勧めて、凪人は再び給湯室へと向かった。
彼が戻ってくるより早く、先程由貴たちが入ってきた扉がノックされる。父の返事を待たずに扉が開いて、青年が顔を覗かせた。
「呼んでるって言われたから来たけど。入っていい?」
父と凪人は、立派なスーツ。だがこの青年はワイシャツとネクタイ、そこまでは同じ。その上にスーツのジャケットではなく、ジャンパータイプの作業着を羽織っている。
彼は由貴と准に気付くと、ぱっと顔を輝かせた。
「お? おー! 『EDEN』!」
身長は、凪人、准と同じくらい。ちなみに一番高身長なのは父親である高坂一臣だ。確かこの場にいる人間の中では、たった一つ、二つではあるが、この陽が最年少であるはず。
「陽、そこドア閉めろ」
「ん。 営業一課の
凪人とはまた違ったタイプのアイドル並みの容姿の「弟」が、笑顔で名刺を差し出してくる。薄めの髪色も相まって、まるで太陽のような青年だった。その光で思わず自分に影が指すところすら見えるようだ。
彼は准にも名刺を渡して、
「なになに? 仕事頼むの?」
と、ソファに腰を下ろした。
なんかもう、なんかもう。
凪人に初めて会った時も、過去の父の言葉に疑念を抱いたが、この二人はどう見ても。
「……聞きたいことっていうか、言いたいこと増えた。 この二人! ベータって絶対嘘! どう見てもアルファ!」
高坂凪人と、高坂陽。由貴より年下の弟。二人ともベータだと言っていたが、それにしてはあまりにも、雰囲気やオーラが准やルーク寄りの人間らしすぎる。
だが、そうだとすると、疑問が増える。何が分かっていて何が分からないのか、何が真実で事実なのかごちゃ混ぜになって頭が混乱しそうだった。だが、「分からない」で済ませてはいけない。
父が、無言で眉を顰める。漏れ出すアルファのオーラに気圧されそうになって、一瞬だけ怯みそうになるが、隣の准の袖を握って心を落ち着かせた。
「何、何。どういう関係?」
足を組みながらも身を乗り出す陽に、男は何やらスマートフォンを操作して、投げてよこす。それをしっかりキャッチすると、画面に視線を落とした。
「何これ。DNAの鑑定結果? 親父と? この、クリスユキってのは?」
「俺。……ユキじゃなくて、ヨシキ」
「ああ、『クリス』ってつまりそういうクリスね。え、隠し子?」
隠し子。隠し子とは、言い得て妙ではあるが、考えてみると確かに由貴は高坂一臣の隠し子である。
「やばい、俺兄貴増えちゃった」
身長も体付きも、彼らより貧弱で小さい。よくすんなりと「兄」だと分かるなと不思議に思ったが、よく考えれば『EDEN』の公式ホームページで全員の年齢は公表されている。おそらくそれをチェック済なのだろう。
給湯室から、人数分のコーヒーカップを乗せたお盆を持った凪人が出てきて、笑った。
「 あの時」
と、口を開く。
「先日ここへいらした時に、オメガだって分かったでしょう。その時父が警戒したのは、俺がいたからなんですよ」
「……どういうこと?」
はい、と渡されたカップを受け取る。アイスコーヒーの方が好きだが、温かいものが嫌いというわけではない。火傷に注意しながら、由貴はそっと口を付けた。
「おっしゃる通り、俺も陽もアルファです。あの時、陽は外に出ていてここへ来ませんでしたね。もし来ていたら、父はもっと焦ったと思いますし、第一、あなたがオメガだと分かっていたら、そもそも俺を同席させず、陽も呼び出さなかったと思います」
「なんで?」
「番のいないアルファとオメガがどうなるか、ご存知ですよね。起こりうる事故の危険性に、『絶対』はありません。兄弟であっても関係ない。もし万が一事故が起これば、俺はあなたを襲いますよ。アルファとオメガとは、そういうものです」
それを気にして 、いたのか。
だが、だとするなら疑問が残る。その場合、傷付くのはオメガである由貴の方だ。オメガの発情期はいつ起こるか分からない。今こうしているこの瞬間に始まるかもしれない。事故を懸念してのことだったと言うのなら、この男が心配したのは由貴の身の方ということになる。
「今日、俺と陽がここにいることを許されているのはね。彼がいたからです」
凪人が示したのは、准だ。思わず、由貴はそちらを振り返る。
「ニュースサイト、ご覧になられました?」
「え?」
「昨日の生放送で何を仰ったか、あちこちで話題になっていますよ」
もしかして、それは准が由貴のことを番だと公共の電波に乗せたことか。いや、もしかしなくても。
「つまりね。なら、大丈夫かなと思ったわけでして」
由貴が准と番になった今ならば、そして、准が共にいるならば、何の不安もなく「アルファ」と会わせられると考えたわけか。
「下で会った時、さりげなくここを確認させていただきました」
そう言って、凪人は己の項に触れる。由貴は元々あまりハイネックの服を着ない。見ようと思えば、准との番契約の証は比較的容易に目にすることが出来るだろう。
「実際、今のあなたからは何のフェロモンも感じませんので。言葉は悪くなってしまうんですけど 、安心しました」
けれども、それでは。
「なんか、それじゃ……」
『良い父親みたいじゃん』と、言ってしまいそうになった。
まるで、何もかも由貴のために。
由貴だけではなくて、彼ら二人の子供のために。
そんなはずは。
いや、よく分からない 、と頭を振った時。
「 凪人。今日はよく喋るな」
冷たい声音で言って、父は二本目の煙草に火を点ける。
ゆっくりと登る白い煙。
『お前、匂うけど吸うの?』
ふと、脳裏にそんな言葉が蘇る。
あの時。
そう言って、それを否定した由貴を嗤って窓を開けた。クズに似つかわしくない気遣いだと思った。
その少し前、乗れ、と言って、 自ら車のドアを開けた。凪人が驚いた顔をしていたのは、きっとそのことだ。
「そうですか?」
「いつものお前は、そんな無駄口叩かんだろ」
「じゃぁ、無駄口じゃないんじゃないですか」
にこにこ笑って軽口を返す凪人に向かってふーっと白い煙を吹きかけて、由貴を見やる。
「 由貴よ。お前の目に、俺はどう見える?」
不意に投げられた質問。
どう、とは。
「……大きい会社の、社長で……」
母を捨てた 、いや、実際どうなのかは分からないが、少なくとも母のかつての恋人で、不本意ながら由貴の父親で。由貴の主観を除いて、事実だけを見れば。
「なんでも思い通りに出来るだけの権力とお金を持ってる人」
ははは、と父が笑った。
以前、教えていない由貴の連絡先をどうして知っているのかと尋ねた時、彼は「金と権力さえあれば、お前の連絡先を知ることくらいわけは無い」といった意味のことを言っていた。
実際、その立場にいれば、大抵の事は出来てしまうのだろう。
「まぁ、違いねえよ。今はな」
今は。
ならば、「今」ではない頃は。
「最初っから、そうだったと思うか?」
「……どういうこと?」
尋ねたということは、そうではないのだろう。そのくらいは、分かるけれども。
「座れよ、お前たち。せっかくだから、休憩がてら話をしてやる」
「……話?」
「ああ」
父はもう一度、煙草の煙を吹いて。
「まぁ、つまらん昔話だ」