G線上のオメガ 【23】 



「ったく、なんだよあの女は!」

 生放送が終わって控え室に戻るなり、ルークが手にしたタオルをテーブルに叩き付けた。怒り心頭の様子である。

「あんなとこで第二性の話、いきなり持ち出すなんてさぁ! 生放送だからカットも出来ないし! デリケートな話題だって分かんないの!?」

 ルークが女性を「女」と呼ぶのは、それだけ怒っているからだ。

「シノが矛先変えてくれたから良かったようなものの、あれはアウトだろ?」

 そうして、五人に続いて控え室に入ってきた百瀬を振り返る。

「モモ、あの女、今後は『EDEN』との共演NG! あの女が司会で出るなら『EDEN』は出ない! よろしく!」
「はいはい。ま、しょうがないね」

 今まで生放送の音楽番組に出演して、ホールにいた。その始めに、女性司会者から由貴がオメガであることがバラされて、一転して気まずい雰囲気になってしまった。
 無論、公言したくなかったことだ。それを心の準備もなく不意に人前で明かされて、何と言って良いか分からず由貴は沈黙した。准が「自分の番だ」と言ってくれたおかげで危機は脱したが、思い出すと今でも心が沈むし、ともすれば吐き気がしてしまう。

「……ごめん、ルーク。俺のせいで」
「なんで由貴のせいなんだよ。どう考えてもあっちの責任だろ」
「でも……」
「由貴に何の責任があるってのさ。オメガになったこと?     そんなの自分で選べるもんじゃなし、責任もクソもないの」
「……うん。ありがとう」

 ルークにぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。手付きからはまだ若干苛立っている雰囲気が感じられたが、その苛立ちは自分たちに向けられたものではない、と分かるだけでも、頭を撫でられるという行為に素直に安心した。

「モモ、悪い。暴走した」
「いや、まぁ、遅かれ早かれ公表するつもりだったろ? ならいいよ。社長に連絡しておいて、出てくるところがあるなら対処しようか」
「ああ、そうしてくれ。さて、……じゃぁ、帰るぞ。由貴」
「あ……、うん」

 准の言葉に、はっと我に返って頷いた。

「えと……みんなは?」

 千歳は、イライラした雰囲気のままのルークを指さす。

「これこれ。もうちょい付き合ってから帰る」
「……ほらルーク、帰るよ」

 まるであやされているようだと思いながら、由貴は自分のバッグを手に取った。
 百瀬も笑って手を振ってくれる。じゃぁ、と控え室を後にしようとした時、

「由貴」

 と、ルークに名前を呼ばれた。

「これからのこと、一度、ちゃんと話をしよう。このままじゃダメだよ。分かってるよね?」

 ルークは真っ直ぐに由貴の目を見て言う。ひたすら駄々を捏ねているようでいて、そうではないのがルークという人だ。
 分かっている。准も百瀬も言っていたことだ。『EDEN』はチームなのだ。チームに関することは、一人で答えを出さないこと。こうと決めていたことを曲げるのであれば、きちんと皆で相談して決めること。

    うん」

 じゃぁ、お疲れ様、と部屋を後にする二人に手を振って送って、ルークはソファに沈み込み身体中の空気を吐き出した。

「ったく、何してくれてんだ、本当に」
「共演NGだけじゃなくて、軽く抗議しとくか?」
「……釘を刺しておくくらいは、した方がいいかもね。今日のあの空気を知らないと、これからもどんどんそういう話題に突っ込んでくる人が出るかもしれないし」
「だね。やるなら早い方がいい。    モモ、よろしく」
「はいはい。今夜のうちにやっとくよ。それより、はい」

 と、百瀬が差し出してきたタブレット。画面には、有名SNSのリアルタイムログが表示されていて。

『マジムリなんあの女』
『これ見てたわ クリス真っ青になってて可哀想だった』

 というごく普通の感想から、

『これ下手したらしばらくクリスの身辺警護必要になるのでは』
『第二性はデリケートな話題ですから……公表してないってことは本人が言いたくないとかで事務所もそれをOK言わないどこ! してるってことで……それをあんなところで勝手に言っちゃうのいかがなものかと思うんですよね……』
『ファンだからシノと番ってのは純粋に嬉しいんだけど、番がいるからって他のアルファとおせっせ自体が出来なくなるわけじゃないんですよね 拒絶反応が出るのオメガだけだし、アルファはそれを無視してやっちゃうことも子供仕込んじゃうことも出来るわけじゃん クリスとの子供なんて欲しがるやつ山ほどいるだろうし、そういう犯罪を助長する可能性がある発言だったってこと理解してるんだろうか』
『××さんの意見ほんそれ 仮にそうなった場合確実にクリスの人生もメンタルもぶっ壊れるけどその責任とる覚悟あるんか』

 といった冷静に由貴のことを心配してくれる声まで。その一方で、

『クリスオメガだったのシコすぎる』
『シノと番なのか……二人推してたから大勝利すぎる……』
『えっ! これからは堂々と二人がデキてる話していいのか!? ありがとうありがとう』
『というか『EDEN』今まで浮いた話題なさすぎて初めて出たそういうのシノとクリスってのがちょっと意外だった』

 そんなある種ストレートなコメントもあった。とは言え、見たところはこちらに好意的、二人の関係に肯定的な反応が多い。その点についてはほっとする。

「おーおーよく燃えてら」
「……これだと、俺たちが改めて何を言う必要もなさそうだけど」
「でもまぁ、意思というか、スタンスを示すのは大事だから。やっといて損はないっしょ。別にファンに対しての弁解ではないし。    てわけで、よろしく」

 タブレットを百瀬に返却して、さて帰るか、とルークは伸びをした。

「誰か付き合ってくれる人」

 ……何を、とは誰も言わなかった。その上で百瀬は笑って辞退する。

「僕はまだ仕事があるから」

 となれば。

「よし!」
「よしじゃないが」
「……今日は早く帰りたかったんだけど。……まぁいいか」






 スタジオの中にいては分からなかったが、外はもう空が真っ暗で、該当とビルの灯りだけがやたらと煌びやかだった。その灯りに誘われる人通りの中を、車で走り抜けていく。

    ……」

 しばらく、無言が続いた。ちらと様子を伺うと、准はきちんと、真っ直ぐ前を見て運転している。

「…………」

 あの時、准は由貴のことを「俺の番だ」と言っていた。あの場を凌ぐための口実だったとしても、そう思ってくれる余地はあるのかと思って嬉しくなった。
 だが、番になるということは、相手の「これから」を縛ること。それが由貴に許されるわけもないと言うことは、よく分かっていた。
 好きだと言ってくれただけでいい。恋人同士になれただけで十分なのだ。それ以上を望んでは、バチが当たるというものだ。

    由貴」

 マンションが近くなった頃、准が口を開いた。

「……なに?」

 由貴は彼を見る。
 少しばかり険しい横顔。それでも、見ていて惚れ惚れするほど男前だ。

「俺、冗談とか、その場凌ぎのつもりじゃねえから」

 と、准が言った。

「……何が?」
「さっきの、お前は俺の番だってやつ」
「…………あ、……」

 ただ、あの場を収めるためだけではなくて。
 アクシデントで順番が逆になってしまったけれど、と。

「…………シノは」

 由貴は己の腿に視線を落として、きゅっと拳を握った。

「…………あんな、色々話を聞いても、……それでも俺のことを番にって思ってくれるの?」

 色々と醜い話も聞かせたと思う。父と母の馴れ初めに関しても、由貴としては気にしないことも多かった。自分のためにと渡された金銭も使い込まれたことも、特になんとも思わなかったが、それらすべてが他の人にとって綺麗な印象ではないであろうことくらい、分かるつもりだ。
 これまで、父のことを知られないために嘘もついたし、気持ちを悟られないために隠しごとも沢山してきた。
 そんな自分が、准と番になれるなどと考えてはいけないと思っていたから。
 車がマンションの駐車場に到着する。准は由貴を見て、眉を顰めた。

「は? ……当たり前だろ?」

 当たり前。
 当たり前なのか、准にとっては。ああ、どうしようと胸いっぱいにじわじわと喜色が広がっていくのが抑えきれない。
 いや、    でも。

「……俺は、ずっとシノが好きで、好きでいられるだけでいいと思ってたから、今こうしてシノから好きって気持ちを返してもらえるだけで、わりと十分すぎるくらい満足なんだけど」

 准が一度、溜め息を吐いた。静かな車内に彼の溜め息はよく響いた。地下駐車場の薄暗い空気の中、バン、と音がして、不意にすぐ背後の窓に准が手を着いた。

「お前、本当にそれで満足なわけ?」
「え?」
「俺は全然満足じゃねーんだけど」

 苛立っている声と顔。怒らせたか、と由貴は身を縮める。
 だが、准の言葉はそうではなかった。

「言っとくけど、俺、もうお前を他の誰かにやるつもりねーからな。六年かかったし、今更誰かにかっさらわれるとかゼッテー嫌なんだけど」

 准が真っ直ぐにこちらを見つめている。六年間、ずっと好きだった人の顔と声だ。そんな相手に今、言われている意味を理解して顔がじわじわと熱くなる。

「だから、とっとと俺のって印、つけときたいんだけど。お前の気が変わらねーうちに」

 気など、変わるものか。
 何があっても、彼は彼で。そんな准を好きになって、一緒にいたくて。

「……変わらないもん。俺、結構一途だよ。六年間好きな人変わってないし」
「そんなん俺だってそうだわ」

 膨れる由貴の頬が、ぶに、と摘まれる。

「……おばさんの事もあるし、慎重になんのは分かるけどさ。俺は、お前以外と番になる気ねーよ」

 理由は、それだけではなくて。
 怖いのだ。いつか、将来的に彼の前に准の『運命の相手』が現れて、彼が心変わりすることが怖いのだ。
 そんな人ではないと知っている。そんな人ではないと信じたい。
 それでも、そんな未来が訪れることがどうしても怖くてたまらない。
 ずっと好きだった人だから、もしも彼の瞳に自分の姿が映らなくなってしまったらどうしようと考えてしまって。

「……」

 本当に、いいのだろうか。
 望んでも。
 准の番になることを、望んでも良いのだろうか。
 心変わりするような人ではないと知っているからこそ、必要なのは、あとは由貴の心ひとつ。

「番になるってことは、シノの一生を縛るってことだよ。……俺が、シノのこれからを縛ってもいいの?」

 いずれ出会う准の『運命の番』から、彼を奪う資格が由貴にあるのか。

「縛れよ。    俺も、お前の一生を縛るから」

 躊躇う様子も見せずに、准はそう言って、ふ、と笑った。

「だから、いつまでもうだうだ言ってねーで俺にしとけ」

 そのまま、抱き締められて。

    由貴。俺と、番になってくれ」
「…………」
「お前じゃねーと、嫌なんだよ。俺は」

 心臓がドキドキした。
 アルファとオメガだけに許された、何よりも重いプロポーズ。
 ならば。
 由貴の答えも。

    うん、分かった」

 ぎゅっと准の首に両手で抱き着く。

「俺も、番になるならシノがいい」

 それが、答えだった。

「大事にしてね」

 そう言って、由貴は悪戯っぽく笑う。

「うんざりするほど甘やかしてやるよ」

 見詰め合って、どちらからともなくキスをする。ちゅっと唇が触れ合う優しいキス。
 指先で項を撫でられて、ゾクゾクした。耳元で准が囁く。

「……俺の部屋でいいか?」

 何を、と彼は言わなかった。
 けれども、由貴も何を、とは聞かなかった。

「うん」






 部屋まで待てずに、エレベーターの中でもキスをした。途中で誰かが乗ってきたら大変なことになると分かりながらも、我慢ができなかった。
 部屋に辿り着き、玄関先で抱き締め合う。ちゅ、と軽いキスの後、額を合わせた。

「……次キスする時、口開けてみ」
「どのくらい?」
「ちょっとでいい」

 そう言って、もう一度キスをする。すると、今伝えた通りに由貴がおずおずと唇を開いた。その僅かな唇の隙間から、すかさず舌先を潜り込ませる。

「ん、ン!?」

 初めての感覚に戸惑う由貴の舌を絡ませ、上顎をなぞった。恋人同士の深いキス。次第に由貴は腿を震わせ、准に縋り付いてくる。准の首に両手でしがみつく由貴の項を指先で撫でると、併せて舌先もびくびくと震えるところが可愛らしかった。

「……は、ぁ」

 ぎゅっと由貴を抱き締めて、その頭をよしよしと撫でる。
 ああ、いい匂いだ。由貴から、とんでもなく良い匂いがする。今は特に匂いが強い。
 これから、このフェロモンを自分だけのものにする。准との番契約が成立すれば、由貴のフェロモンはもう他のアルファに伝わることはなくなる。
 寝室へ移動して、ベッドの上でまたキスをすると、その合間に、由貴は困ったように首を傾げた。

「……えと、あの……、これから、どうしたらいいの? ……ご、ごめん……よく知らなくて……」

 由貴は先日、元々性的なことには興味が無かったことに加えて、「そういったことに興味を持つことは、酷く罪深いことだと思っていた」と言っていた。それは恐らくそのままの意味で、性行為の経験がない、というよりは、まず知識そのものが乏しいのだろう。
 ああ、でも、それは。つまるところ、由貴の初めての相手も最後の相手も准だということで、由貴のコンプレックスであろうところも、とんでもなく嬉しく感じてしまうのだ。

「と、とりあえず、服は脱いだ方がいい?」
「まぁ、着てても出来んことはねーけど。脱ぐのが普通ではあるかな」
「わ、分かった」

 由貴はまず、アウターを脱いだ。普段、大きめでゆったりとしたデザインを好むから、分かりにくいこともあるが、シャツはその限りではないから。

(あ、やべ)

 細い二の腕と、華奢な腰周り。

(これ、すっげぇ、クる)

 まだアウターを脱いだだけだというのに、どうしようもない。
 由貴は続いて、黒いシャツに手をかけて、そこで一度ちらりとこちらを伺った。そうして、恥ずかしそうに少しだけ体を背けた後、えい、と思い切ってそのシャツを脱ぐ。フワッと甘い香りが一層強く漂ってきた。
 だが、最後にスキニーパンツに手をかけて、そこでついに動きを止めてしまう。真っ赤な顔でプルプルと震えながら、今度こそ助けを求めるようにこちらを見た。

「……は、恥ずかしくて……、これ以上は、無理……」

 なんとも由貴らしいと准は笑って、由貴の手を引き、後ろから抱き締めるように自分の足の間に彼を座らせる。

「わ」

 すぐ目の前に見える項。まだ何もない、真っさらな、白い肌。
 これからセックスをして、ここに歯型を刻み込む。生涯准一人だけの、所有の印だ。そう思うだけで、たまらない。
 早く早くと急く心を落ち着けるようにゆっくりと息を吐いて、由貴の肩口に顎を乗せた。彼の胸元を覗き込むと、准は腹の皮膚を撫でる。さらさらとして気持ちの良い、薄い皮膚。ずっと触っていたくなる。
 こちらを振り返り、見上げる由貴が少しだけ、む、と唇を尖らせた。

「……なんか余裕気なのちょっとヤだ」

 悔しいのか、拗ねているのか。いっぱいいっぱいになっているのは自分だけなのかと思っているようだ。
 そこは、まぁ。申し訳ないが、それなりに経験値の差というものがあるわけで。
 初めてのセックスは、中学生の時。第二性検査でアルファだと分かってすぐに、兄の同級生に流され、半ば襲われる形で済ませた。それから由貴と出会うまで、何人か「いいな」と思った相手と付き合って、それこそオメガともそれなりにセックスをした。
 それでも、こんな胸の高鳴りは感じたことがない。部屋の中で、普段自分が寝起きするベッドの上で。恥ずかしそうに、由貴が肌を晒している。それが意味するところの先の行為を想像するだけで、心臓がドクドクとうるさい程に音を立てていた。

「余裕なんてねーよ。……やっと、お前に触れるんだ。余裕なんてあるか」
「……心臓、すっごい速いね。シノでもドキドキするの?」
「そりゃ、まぁ。なに、そんな落ち着いてるように見えるか?」
「うん。……シノはいつでも落ち着いてる」

 准は笑った。とてもそんなことはない。由貴と出会って彼を好きになって、毎日必死だった。落ち着いて見えたのであれば、それはそう装っていただけで、結果上手くいっていた、というだけだ。
 そろりとこちらを伺う由貴と、もう一度キスをする。

「んっ……ン、んん」

 先程よりもじっくりと。ねぶるように咥内を撫でると、由貴はもぞりと両の腿を擦り合わせるような仕草を見せた。
 唾液を交換し合うような濃厚なキス。たっぷりと時間をかけて唇を離すと、

「優秀」

 と囁いて頭を撫でた。そのままするりと手を下まで滑らせて、淡い桃色の尖りに触れる。

「っ……」

 由貴が息を詰まらせる。准はその反応を見て、両手でそれぞれ左右の乳首をきゅっと摘まんだ。

「んっ、ぁ」

 高い声。由貴は素早く両手で己の口を押さえた。

「声、我慢すんな」

 それでも、由貴は必死で堪えようとして首を振り、くぐもった声を途切れ途切れに漏らす。
 逃れようと身を捩る由貴の乳首を少し強い力で押し潰すと、びくりと体が震えた。

「んっ、ん」

 始め柔らかかったその場所が、次第に飴玉のように固くなる。女性のように豊満さのない、平たい胸。それでも由貴の体に触れていると思うと、准の中心にもあっという間に血が集まっていく。
 しばらくコリコリと親指と人差し指で転がすように揉んでいると、由貴が赤く目元を染めた顔でこちらを振り返った。

「……シ、シノ……、それ、意味ない……」

 触れるたびに、肌が粟立つ。女性と違って性感を生むパーツではないと思っているのであろう由貴は、そんなところを弄っても意味はない、と訴えてくる。

「そうか? 気持ち良さそうだけど」
「あっ、や、ぁ、ぁ……っ、っ」

 思わず体が跳ねるその感覚が快感であると由貴は知らなかったのだろう。ただ、彼自身ではろくに触れたこともない場所が、ぷっくりと立ち上がっている様子が、とんでもなくいやらしく見えて可愛かった。
 由貴にはコンプレックスがあることを、准は知っている。彼は自分が持ち得たものが、好きではない。細くてさらさらの髪の毛、綺麗な肌。由貴は全体的に色素が薄いところが嫌いだ。ガラスで出来たベルのような声が嫌いだ。あまり大きくならずにまとまった身長が嫌いだ。自分の中でそれなりに認めているのは、曲を作ることが出来る、ただそれだけ。由貴はそれ以外の自分自身の全てが嫌いなのだと、准は知っている。
 大きめのアウターばかりを好むのは、華奢で男性らしくない体型を誤魔化したいから。カメラの前で帽子を被るのは、人目を集めることが苦手なだけでなく、顔を隠したいから。仕事の際に無口なのは、自分の声を記録に残して後で耳にしたくないからだ。
 けれども准にとってはその何もかもが可愛くてたまらない。そうだからこそ、めちゃくちゃに、うんざりするほど甘やかして大事にしたいと思うのだ。

「由貴」

 耳元で囁いて、耳朶にちゅっと口付ける。

「気持ち良いことだけしてやるから、大丈夫。本当に嫌ならそこは言え。……気持ちいいの『いや』は聞かねーけどな?」

 捏ねて揉んで押して、小さな乳首を弄ぶ。はっはっと早くなった息遣いが耳に響いた。
 そうして片手は残したままで、もう片方の手を下腹部へ滑らせる。わざと見せつけるように、ぷつりとスキニーパンツのフロントボタンを外した。

「触るぞ」
「え……、え?」

 前を寛げて、下着の中に片手を入れる。

「あ、」

 指先を立てて内部を覗くと、しっかりとそこは反応を示していた。

「なんだ、ちゃんと起ってんじゃん。これならやれそうだな」
「うぅ……」

 体の方は、ちゃんと快楽を快楽として受け取っている。持ち主である由貴の頭の方が追いついていないようだが。
 そっと手の中に握り込んで、最初はゆっくり、優しく上下に扱く。

「や、やだ……、っ! あっ、ぁ、あ」

 先端から溢れる雫が伝い落ちて、手を動かすたびに、ぬち、くち、と濡れた音がする。

「いや?」
「あ……、ゃ、じゃ、ない、けど……っ、」

 先っぽを親指でぐりっと抉ると、たまらず由貴が喉を反らせて喘いだ。反射的に体を引き、准に背中を押し付ける。
 その尾?骨の辺りに、とうに立ち上がってはち切れそうだった准のペニスが触れた。

「あっ……」

 同性だからデニムの生地越しでも分かるのか、気付いた由貴が真っ赤になって俯く。

「分かんの? これ。早くお前ん中入りたいってウズウズしてる」

 離れようとする由貴を抱き締めて、よりはっきりと分かるように、先程は一瞬触れただけのそれを押し付けた。
 そう告げながら、ふと、他に気付いた事があって、准は一度由貴を離すと、そっとベッドの上に押し倒す。

「由貴、    ほら」

 唇の端を人差し指で引っ掛けて引っ張るようにして、口を広げた。

「お前が、見たがってたヤツ」

 見せ付けるように、歯を合わせて。
 先程から、疼いてたまらなかった。どうしようもなく、体の全てが由貴に欲情しているその証拠。
 普段より獰猛さの見える犬歯。目の前のオメガが欲しくて、その項の皮膚を破って痕を残すためのもの。どうにもむずむずすると思っていたら、やはり体は正直だ。
 由貴が手を伸ばして、犬歯にそっと指先で触れてくる。つつ、と表面を撫でられて背筋がゾクゾクした。
 由貴の手を取って、口付ける。おずおずと差し出された舌先を、わざと犬歯で優しく食んで存在を分からせた。

「ん、ん……っ」

 額、頬、鎖骨と順に口付けて、片手でそっと、ボクサータイプの下着ごとスキニーを脱がせる。肌を辿るようにキスをしながらちらりと見やると、先程下着の中に見た、立ち上がった性器が見えた。
 年齢の割に薄い下生えを、先端から雫が伝い落ちて濡らしていく。
 裏筋を辿って、やんわり握って。

「っ……は、ぁ、……んんっ、ん」

 由貴の体とそれが、准の手管でびくびくと震えている。

「イキそうか?」
「え……? わ、分かんない……けど、なんか、変……っ」

 そういったものを見ない聞かない、自慰もしないのでは、絶頂の感覚が分からなくとも仕方がない。
 一度経験させて理解させるか、と、上下させる手を早めた。

「待っ……、待って、シノ、……っ、だ、ダメ、待って、ヘン、変、だから……ぁ、っ」
「どう変?」
「お、お腹……っ、ビリビリして……」

 未知の感覚を堪えているのか、由貴の下腹部がふるふると痙攣している。その反応が可愛らしくて、髪を撫でもう一度額にキスをした。

「それ、正常。大丈夫だから、流されとけ」

 人差し指の爪先を立てるように撫でた途端、由貴が准にしがみつき頤を逸らした。

「あ、ぁ……っ、……ん、うぅー、……っ」

 手のひらの中に吐き出される白濁。こんなものまでも、どこか楚々として綺麗に見えた。
 由貴が呼吸を整えるのを待ちながら、准は体を起こし、着ていたシャツを脱ぐ。デニムの前を寛げて、雄々しく立ち上がっているものを取り出す。由貴がいい匂いを振り撒くから、実のところはとっくのとうに限界が近くまで来ていた。
 それを見た由貴が恥ずかしそうに視線を逸らす。

「……シノの身体、えっちですごい」
「そりゃ、何より」

 それなりに気を使ってきたが、由貴にそう言ってもらえるなら、「気を使って」きた甲斐もあるというものだ。
 改めて、由貴をじっと見下ろす。一糸まとわぬ、生まれたままの姿だ。

(……あー……、さっきも思ったけど、やっべぇ、これ)

 想像以上だ。
 母親譲りであろう白い肌。焼けにくい体質なのか、夏場でも黒くなっているところを見たことがない。今はうっすらと朱に染まって、綺麗だ。余分な肉の付いていない、自分とは違う体。思った通り、歳の割に薄い下生え。

「…………あんま、見ないでよ」
「さすがに見ないとなんもかんもは出来ねーだろ」

 そんな言葉を交わしながら、准は次に、と由貴の両脚の奥に手を伸ばす。男性同士の性交にはここを使うのだと伝えるように、窄まりに触れた。

「あっ……」

 由貴が体を強ばらせる。
 しっとりと濡れた蕾。先程吐精したものが伝い落ちたのとは、また違った感触。縁をなぞるように撫でると、由貴は唇を引き結んで顔を逸らした。

「う……」

 オメガの場合、男性でも女性の陰部のように愛液が分泌されるのだと授業で聞いた。実際に過去、体を重ねたオメガもそうだった。

「…………最近、シノと一緒にいるとそうなるの。……ごめん」
「なんで謝んの? 俺は逆によっしゃって思っちまうんだけど」

 時分の方だけではなく、男として、アルファとしての准に由貴の体が欲情しているという確実な証左であるわけで。由貴が誰にでも反応するタイプではないと分かるからこそ、准は嬉しく感じてしまうのだが。
 准はまず指を一本、由貴の後孔に挿入する。

「う、う……んんー、っ……」

 僅かな抵抗感はあったが、ぬかるみのお陰で指が入る。異物感があるのだろう、ぎゅぅっと強い力で締め付けられた。

「大丈夫、ゆっくりやるから」
「ん……っ」

 始めは、ゆっくり。傷付けるつもりはないと伝えるように。少しでも由貴が快楽を得られるように前立腺を探す。指先に感じたしこりに触れると、びくりと反応する。

「あ、っ」

 二度、三度としこりを押すと、その度に准にしがみついてくる。良かった、ここでも快感を得られるようだ。

「んっ、あ、ぁ」

 指を増やして出し入れすると、途切れ途切れの高い声が上がるようになり、濡れた音と共に愛液がひっきりなしに溢れてくる。音でそれが分かるのか、由貴は恥ずかしそうに、シーツで顔を隠そうとしていた。
 由貴が少し身動ぎするたびに、部屋に満ちる甘い香りが強くなる。呼吸をするだけで頭がクラクラして目の前が揺れた。次第に頭をもたげてくる、オメガに対するアルファの狂暴性を必死で抑える。怖がらせたくはないし、怖がらせては意味がない。くらりと目眩がする度に、歯を噛んで堪えた。

「…………シノ、」

 早い呼吸の中で、由貴が手を伸ばしてくる。首にしがみ付き、小さく囁いた。

「…………そろそろ、入れていいよ」
「いや、でも……」

 もう少し、と思ったが。

「……シノも、我慢してるでしょ?」
「そりゃ、まぁ」
「大丈夫だから、……ね」

 と、准の頬を両手で包んで、由貴が笑った。

「……痛かったら言えよ?」

 ぐぐ、と由貴の中に押し入る。オメガの特性があるとは言え、誰も受け入れたことのない処女地は狭隘だった。

「う、ぅ……うー……っ」

 時間をかけて、ゆっくりと、少しづつ。やはり全てを収めることは出来なかったが、それでも言いようがなく、これまで感じたことのない充足感があった。

「……大丈夫か?」
「ん……、な、なんとか……っ」

 六年前、一つ前の席に座っていた相手。自分と由貴の出会いのきっかけは、単純に考えればただそれだけだ。
 その相手を好きになって、彼がオメガになって、今、体を繋げている。そう実感した瞬間、全身に麻薬のような心地良さが広がって胸が熱くなった。
 由貴の呼吸が少し落ち着くのを待って、緩めのペースで抽挿する。

「あっ、あ、あ」

 先程発見した前立腺に引っ掛けるようにして、とん、とん、と奥を優しくノックする。ペニスの先端からとろとろと快楽の証を漏らしながら、由貴はたまらず頭を振った。

「あ、あ、シ、シノ、待って、待ってぇ……っ、あ、ひぃ……んっ」

 奥まで入れてぐりぐりと捏ねると、一際高い声が上がる。

「それ、……それっ、頭……ぁ、ヘン、なるぅっ……」

 濡れた音、荒い息。部屋の中に漂うフェロモン。六年分の全てが混ざり合って、脳が揺れる。
 こんなに好きになるとは思わなかった。こうして自分の下で乱れる由貴を見ているだけで幸せだ。キスをするだけで、声を聞くだけで、名前を呼ばれるだけで幸せになる。
 ああ、そうだ、名前を。

「由貴、名前」
「え……?」
「名前で呼んでみ」

 由貴はなんの事かと、ほんの一瞬考えて。ああ、と思い至ったらしく。

「准」

 小さく呼ばれて、全身が粟立った。由貴はそのまま、何度も繰り返す。

「准、……好き、大好き、ぃ……っ、あ、あ」

 由貴は半身を捻り快感を逃そうとする。ベッドにうつ伏せになった彼の背中から、肌を合わせた。
 ぐちゅっ、ぬちゅっ、と卑猥な音がする。目の前に見える白い項。うっすらと紅く染まって、普段の由貴が周囲に与えるイメージとは違いとんでもなくエロティックだ。

「ん、ぅぅ……っ」

 体が時折ひくひくと震える。二度目の絶頂が近いのだろう。准もそうだった。
 そっと項にキスをして、最後の確認をする。

「……由貴、……いいか?」
「……ん……いいよ」

 由貴は准を見て、頷いた。
 首の前の方に手を添えて、支えるように。もう一度項に啄むようなキスをすると、その場所に思い切って歯を立てる。

「っ! あ……っ」

 歯が皮膚に食い込む感覚。ブツリという小さな衝撃と共に、やがて血の味が広がる。ある種、それが准にとっても最後の一押しになった。
 深くまでペニスを押し込んで、その今可能な限りの一番奥に射精する。

「ん、ン……っ、ぁ……」

 シーツを握り締める由貴の手の上から、包み込むように手を重ねると、由貴は准のその手に頬を擦り寄せた。その仕草がどうしようもなく愛しくて、胸がきゅうっとする。

「……シノ」
「ん?」

 由貴の声がまるで砂糖菓子のように甘く聞こえた。

「……俺のこと、好きになってくれて、ありがと」














−続く−

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