「俺のマスターは一人だけ。離れろって言っても絶対離れてなんてあげないから大丈夫」
「聞いてねェよ。俺ァ嫌がらせかって聞いてんだ」
「嫌がらせしたいほど好きなんですけどォ」
「それ好きじゃねェだろ、どんだけ歪んでんだテメェは!!」
「歪んでるんじゃない、真っ直ぐすぎる愛情だよ」
「テメェの言う真っ直ぐが真っ直ぐなら、世の中の大概のことはまかり通るだろ。愛情っつー言葉は万能じゃねェぞコノヤロー」
「いやいや、世の中得てして強引で押し通ることもあるよね。何があっても愛で説明ついたりするよね、うん。愛は性別どころか種族も超えると思います。」
「…………………………………」
「マスターも銀さんと色々越えてみませんか。特にアレ、あのー、性的な一線とか」
「…………………………」
「……、…………………………………」
瞬間見つめ合う二人はけれど、甘さの欠片もなく土方の額に青筋が浮いている。
「テメェと話してると、自分がどれだけまともかって分かるな」
「マスターがまともなら世の中の大抵のことが暴力じゃなくなるねぇ」
「………テメェ」
良く言えたもんだな、怒りに打ち震える声音を絞り出すのに対して銀時は、マスターの怒った顔って何かいやらしいよねと大きく頷いた。
真顔で言ってのける銀時から腰を引いて離れようとすれば距離を詰められる。
背に回る腕に籠る力に引き寄せられて、胸元に額を押しつけると暗くなる視界。
さらさらのシーツを足で蹴り、そのまま銀時に身を委ねれば。
土方の髪を撫で梳いて鼻先を埋めた銀時が、おやすみと囁いて後。
「学園に帰ったら、いっぱい怒ってね」
「……ドMかテメェは」
「そうかも」
軽い口振りで笑い、規則正しく背中を叩いてくる穏やかさに任せて重い目蓋を閉じ切った土方が、言ってろバカと吐息で紡いだ。
土方の意識がこちらに向いていないのを良いことに、起きたら一緒に風呂に入ろうね、銀さんが洗ってあげるから、そう嘯いて笑う。
ただの反射なのだろう、間延びした返事が布団の中から聞こえてくるのに言質は取ったと。
起こさない程度に軽く唇を、なだらかな頬へと落とした。
ゆるゆる眠りに引き込まれて行く土方の気配を追いながら銀時もまた、目を閉じる。
二人分の温もりが募る布団の中、身を寄せあって意識を手放す室内に余計なものはなく。
眠るには程早い時間に深い呼吸が重なった。
* * *
上等な羽毛布団に丸まる土方の右手の甲、仮契約の紋章が紅い光を帯びる。
僅かな痛みを覚えて眉根を寄せるがしかし、起きるまでもなく。
無意識に掻き毟り、銀時の腕の中で寝がえりを打つと細く長い吐息を漏らした。
背中を銀時の体に預けてぴたり、くっついたままの二人のに指先が不意に触れあった瞬間。
誰の目に触れることもなく一際輝く紋章に銀時の体が震える。
目を開けばそこは荒野だった。
否、荒野と言うよりは何もない場所と評するのが正しいだろうか。
どこまでいっても晴れぬ霧、擡げた己の手のひらさえも視認するのが難しい。
指を折って感触を確かめる背中に飛ぶ檄、余所見をするな、と朧気な景色を切り裂くように。
途端晴れた視界には瘴気漂う異質な世界が広がっている。
尖る神経と共に崩壊する体は戦慄き、到るところから獣の毛がざわめき生え出した。
おぞましい変質は慣れたもので、くぱ、と開いた口は長く尖っている。
鋭い歯を見せつけて覗かせる赤い舌が笑みを象っていることを知らせるけれど、気まぐれに上げた咆哮一つで次元が歪んだ。
疲弊した体で出来ることは限られ、振るわぬ四肢からは止め処なく血液が漏れてくる。
痛みはとうに思考の外、地を蹴る足を叱咤してもう一度吼えた。
終わったはずなのだ、もう何もかも。
新しく全てが始まると言うのに、この違和感はどこから来るのだろう。
背中を預けた仲間でさえ、払拭しきれぬ緊迫感に奥歯を鳴らしている。
世界の端から端まで駆け抜けて特異点を探しても見つからぬ焦燥感に足を留め、剣呑とした視線を巡らせた。
『無様な姿だなァ』
嘲りが頭上から降ってきて、苛立ちに喉奥を唸らせる。
それだけでビリビリと振動する大気に負けて、そこかしこで膝をつく魔物が視界を掠めた。
憎い、と思うよりもどうして、の方が先に立ち、睨むうちに問いを混ぜるが答えは返らない。
どこまでも轟く哄笑に包まれて一つだった空が割れていく。
暗黒色の空が落ちてくるようにまた、沈む心に呼応したのか体が崩れ、いずれ潰えた。
途方もない喪失感に跳ね起きた銀時が、冷や汗の浮く額に手のひらを宛がう。
何度も見た夢、今更ながらに驚かされることが忌々しい。
舌打ちして持ち上げた目蓋の奥、虹彩に灯る紅さが室内にぼんやりと光源を与えた。
瞬くたびに揺らぐ光は妖しく、人ならぬモノの存在を際立たせているがしかし、指摘する者はいない。
粟立つ皮膚を突き破って今にも獣毛が生えてきそうな腕を、手のひらで擦り上げる。
強く握りしめ、長い爪が皮膚を傷つけるようになって漸く押し留める変化に眉根を寄せて、銀時は浅い呼吸を止めた。
そろそろと深く息を吸い込み、長く吐き出せば荒い鼓動は収まっていくけれど。
生体反応とは別の第六感が冴え過ぎて、過敏に張り詰めた神経が銀時を苛む。
千里を軽く網羅する感覚が拾い上げるのは、微に入り細に穿つもので過多な情報に目の前が眩んだ。
この体のままでは保てない、と奥歯をきつく噛み締めれば、苦悶にも似た唸り声が漏れる。
体を「く」の字に折って堪える衝動、一吼えすればどうにかなるかもしれないと、よろめきながら布団を抜け出そうとする銀時へ覚束ない腕が伸びた。
「……るせェな…ンだよ」
「マスター……、…?」
「…………………………………」
「ちょっと銀さん外」
「ふとん、すきま……さみィ」
単語だけを幼い口調で並べたて、不機嫌にむずがる土方の手が銀時を引っ張りこむ。
寝惚けているとは思えぬ力に逆らえず、銀時は元いた場所へと倒れ込んだ。
温かい体が擦り寄ってくると、彷徨う指先が銀時の髪へと差し込まれる。
ふわふわとした感触を一頻り楽しみ、満足そうな吐息を零した土方はまたぴくりとも動かなくなってしまう。
有り得ぬほど幸せな状態を手放すことがどうしようもなく惜しくて、戸惑いのままに土方を凝視した銀時が眉尻を垂らした。
「酷いよマスター、このタイミングって」
マジでか。
途方に暮れたように呟く声音に堪え切れない喜色が滲む。
身の内に潜む蛮性だけは処理しなければならないと、責任逃れに土方の手を取った。
案の定輝く紋章、小さな光源が絶えず明滅を繰り返す場所へ唇を押し当てて。
食道を焦がすように熱い己の一部を注ぎ込んでいく。
口の端から零れる魔力は七色の光玉となって弾け、室内に幻想的な風景を造り出しているがその実、生易しいものではない。
人の手で触れれば恐らく爛れ止まず、生半な魔法では治らないだろう。
ともすれば劇薬とも言える魔力を少しずつ土方の体に注ぎ込み、衝動が収まるまで。
四肢の統制が完璧に取れるようになったのを確認し、銀時はそっと唇を離した。
土方は相も変わらず健やかに眠っている。
うっすら開いた唇があどけなく、規則的な呼吸が絶えず聞こえるのが可愛らしい。
ふ、と吐息だけで笑って、前髪を払うと白い額に口付けた。
恭しく触れ、そっと離れれば戦慄く唇が可愛らしくもない台詞を呟く。
煩わしさを隠すこともなく眉間に皺を刻んで寝がえりを打つ背中に指先だけで触れ。
「今はまだ、それで良いんだよ」
何もかも、知らないままで。
仮初の契約でさえも、中途半端に放られたままの全て。
いずれ知らなければならない時期が来るのなら、せめて時のある内にはこのままでと。
「でもあんまり甘やかすと俺、つけあがっちゃうからね」
もう遅いかもしれないけど、つけ加えて再度目を閉じれば意識は彼方へ。
土方を背中から抱きかかえて、綺麗なラインを描くうなじへと鼻先を埋めた。
香るいつもの土方に、張り詰めた神経は凪いでいつもの日常が訪れる。
いるだけで日常を連れて来てくれるのは、何も自分ではなく土方の方だと告げてやりたくても出来ずに。
明日起きたら感謝のキスの一つでもしてみようか、絶対に嫌がるだろうけれど。
思い描く未来に差異がないことを確かめてみようと、銀時は僅かな間意識を手放した。
土方の手の甲は輝くことを止め、今は契約の跡を微かに残している。
白くひきつれたような線が手の甲へ、その遥か深く体内を巡る魔力は爪先まで満ち満ちていた。
幾重にも閉じられた重厚な扉の向こう側、金属の擦れる音が鳴る。
始めは小さく、二度目はもう少し大きく上がる音は地下深く、誰の耳に届くこともない。
複雑な模様が描かれた室内に鎮座するソレはただの抜け殻でしかなく、もしもの時のために戒められているはずだった。
――――――今、この時までは。
窓の外、ごお、と吹雪く風も届かぬ地下深く、戒めの杭に留められたものが人知れず胎動を始めた。
葦原 瑞穂