ガラスの月〜ガラスの森番外編



とうとう迎えが来たのだと思った。
満月の、いつだかと同じように気味悪いほど綺麗な空。
漆黒の空にただ一つ、煌々と輝く月から一筋の道。
光の絨毯を颯爽と降りてくる姿に、らしくもなく心が震える。
ああやっと、お前に会えるの――――――




胸にある懐中時計、仏頂面で背中合わせに写る二人はもう色を変えてセピア色になったけれど。
こうして思い返せば容易く鮮やかに思い描けるほどに忘れられない。
低く伸びる声も、真っ直ぐで強い眼差しも。
気づけばいつだってまともに名前を呼ぶことはなくて、口を開けば可愛くない言葉ばかり、けれど。
痛いほどに潔い生き方と、強い精神力、その反面ガラスのように透明な心を持った誰よりも綺麗な男。
長く生きた金時の心を震わせた唯一の存在。
微妙な距離感を保ったまま、卑怯にも手の届かない場所へ行ってしまった彼を憎く思えど、嫌いにはなれずに。
思い返しては抜けない棘のように痛む思い出だったはずが今は。
同じ想いでいたと知って、穏やかに凪いだ心。
もう一度会いたいと今はそれだけが、切なる願いだった。



こつこつと窓ガラスを叩く音がする。
指一本も動かせない体で、神経だけがそちらへ向かった。
細かく荒い呼吸だけが部屋に落ちて、目蓋は今にも力なく閉じてしまいそうで。
ああもうお迎えが来たのかと、金時ははっきり自分の終わりを感じる。
充分だ、もう精一杯生きた。
後は会いに行ければそれで良い、たくさんの土産話を抱えて土方の元へ。

(今そっち行くからよォ。覚悟して待っていやがれ)

待っていやがれ、と内心呟いたその時。
ふわり、自分の体から意識が離れ自らの体を見下ろすように。
いよいよかと、年輪の刻まれた己の体を眺め、感慨に耽っているところ肩を叩かれる。
訝しく思うより先振り向けば。

「待たせたな」

思い出そのままの姿、最後に姿を見た日から寸分違わぬ様相の、今誰よりも会いたいと希う土方がそこにいた。
声にならず、見上げるしかできない金時へ、土方は眉根を寄せる。

「オイ、忘れちまったか? それともテメェ耄碌してんのか」
「誰が耄碌ジジイだコノヤロー!! 忘れるわけないだろうが、テメーはアレだ、ええと多串君?」
「忘れてんじゃねェかァァァ!! 誰だ多串って」

折角迎えに来てやったのによ、と言う土方とする言葉の応酬はどれくらいぶりなのか。
ああいっそこれが夢でもと締め付けられるほどに胸が痛い。
伝えたい言葉ばかりが渦巻いて上手く言葉にならずに詰まったまま。
けれど、込み上げる気持ちを堪えて無理に言葉を繋いだ。

「……………ッ、ホントにオメーは待たせてばっかで。返事だってどんだけ待たせれば気が済むんですかコノヤロー」
「別にあのまま、伝わらなくたって良かったけどな」
「おまっ、この期に及んでまだ逃げる気ですか。ちょ、そこに座りなさいよォォォ」
「断る。でもまァ、あれが遺品になるなんざ思わなかった。一緒に海の底に沈むと思っていたから」

俺の想いごと、と言葉を切った土方は俯いて小さく笑う。
引け腰な返答に苛立ちを隠せずに伸ばした皺だらけの手、土方の手が一息先に指先を絡めると触れたところから淡く光り出した。
指先から腕、肩を通って全身が発光すると、光の珠が金時の体から生まれる。
瞠った眼が捉えるのは、同じ目線にある土方の秀麗な顔だ。
困ったように眉を垂らして、迎えに来たと。
片手を目線の高さに上げれば小さな手は大きく張りを取り戻し、思い通りに動いて。
ふと、窓ガラスに映る自らの姿を見つければ、在りし日の姿がそこにある。
初めて土方と会った時と同じように。

「俺ァ死ぬのか」
「生きてェなら俺の手を離せば良い。また誰かが迎えにくんじゃねェか?」
「お前は………?」
「俺ァ元いたところに帰るだけだ。暇だったらまた、テメェのこと見てやんよ」

ただ、生憎と俺は忙しいからな。
そうして離そうとする手ごと体を抱きこんで。

「ずっと、こうして触りたかった…!! あん時、どうして一緒に船に乗んなかったのかって」
「……馬鹿言うな。テメェは天寿を全うする運命だったんだよ」
「……………………」
「なァ、幸せだったか?」

お前の人生は光に満ちていたか?吐息交じりに囁かれて、金時の胸が震えた。
ふざけんな、お前がいなかったあの日から一番大事な光は失われたまま。
今までの幸せ全部積み重ねたって、土方と心を重ね合わせる以上の幸せなんて。
そう言おうとしても言葉にならず、代わりに言えるのは絞り出すような肯定。

「しあわせに、決まってんじゃねーか。オメーがいなくたって俺ァ充分幸せだったんだよ!!」
「そうか」
「だってそうだろ、オメーといる幸せは知らねーんだ」

例え誰が見ても幸せだと思える人生だとしても。
土方がいる幸福は味わったことがないから比べられない。
胸を張って言える、幸せな人生だったと。
だけどもし、全てを投げ打って土方と共に在ることが叶うのなら。

「幸せだった。お前に話して聞かせるもんは、そりゃ数え切れねーくらいある。だけどよ、ダメだ。オメーを前にしてンなもん全部吹っ飛んじまう。俺ァあの頃から変わってねーよ。神経全部オメーに向かって何も言えなくなんだ」
「……………………、……………」
「なぁ今ならいられんのか? オメーといても邪魔されない世界にいけんのか」
「どうだろうな。向こうにはみんないるしよ」

背中に手のひらを宛がった土方が、金時の肩へ額を預ける。
そういえばこうしてまともに抱きしめるのは初めてだと、金時は口を噤んだ。
体温のないはずの体が温かく感じるのはなぜだろう。
触れたところから重なって、心臓が大きく跳ねる。

「きんとき…………」

ぎこちなく紡がれた言葉。
呼ばれる声の甘さに頭が痺れて動けない。
掛る力が強くなって抱きしめ合う体、お前まだ俺がと尋ねる土方の言葉を途中で切って、当り前だろうがと。
生半可な気持ちで惚れたわけじゃない、何を捧げても構わないほどに好きだった。
土方が亡くなったあの日、心全て持っていかれたように。
それをどうして、まだなどと言えるのか。

「お前の返事聞けなかった後悔抱えてここまで生きてきたってのに、あんまりな言いようじゃねーか。金さんのこと見くびんじゃねぇぞ。片時も忘れたことあるかコノヤロー」
「なら…、俺と行くか?」
「……………………」
「行けば戻れねェ道だが、それでも」

来るのか、と尋ねる土方を真っ直ぐに見返して当たり前だろと頷く。
どれだけ探したと思ってんだ、毎日どれほどに深く想ってきたか。
骨が軋むほどに抱き締めて言えば、土方の声が揺れた。

「もう会えなくなるぞ、お前の子供にも孫にも」
「良いよ。俺ァ充分好き勝手に生きた、テメーに自慢できるくらいにな。後望むもんがあるとしたら、いや、最初っからテメーしか望んでねーよ」
「なら、俺と」

行くぞと言うや否や、浮遊感が全身を包んで気づけば空の上。
窓の外から見遣る年老いた自らの体、充分に生きたなァと感慨深げに。
隣に立つ土方が、窓をすり抜けて中へ。
それから横たわる金時の額へ唇を押し当てる。

「あああ!! ちょっ、おまっ、本体こっちでしょうがァァァ」
「ウルセーちったァ黙れコノヤロー。お前今死んだんだぞ」
「うっそマジでか。マジであれか。スタンドになったのか」
「死んでもうるせェな」

舌打ちした土方が金時の隣に戻り、別れは良いのかと問うがしかし。
湿っぽいのは嫌いだよと返し、土方を促した。

「さって、天国に行こうか」
「テメェが言うとものっそいいかがわしく聞こえるのは何でだ」
「金さんはさわやか青年です」
「ジジイだろテメェは」
「あ!! そうだ!! オメージジイにちゅーなんかして、どうせするなら金さんにしなさいってんだコノヤロー」
「どっちもテメェじゃねェか!!」
「そうなんだけどォ。なんか複雑っつーか俺がされたわけじゃなくね?みたいなところあるじゃない。なんで金さんにもしてくださいお願いします」
「断る」
「ついでに返事を土方君本人から聞かせて下さい」

文字なんかじゃなく、言葉でちゃんと。
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべながら言う金時に、土方は苦々しい顔つきで。
うう、だかくそ、だか唸った後に不穏な捨て台詞を吐いて金時の胸倉を掴み上げる。

「一度しか言わねェから良く聞きやがれ!!」
「うん?」
「俺もテメェと同じだ…!!」
「…………………………………へ?」

ちょっとその答えはずるいんじゃない。
言おうとした口を柔らかな唇で塞がれれば黙るしかなく。
すぐに離れては眼前にそれと分かるくらいに赤い頬、今はこれが精一杯の返事なのかと理解して。

「まァ良いか。次はちゃんと言ってね」
「………………………」
「それにしても、金さんと同じ気持ちってコレすごくね?」
「あン?」
「だって、何十年も想えるくらいオメーに惚れてんだよ」
「…………………………………ッ!!」

すごいでしょう、言えばこれ以上ないくらいに頬を染めた土方が顔を逸らした。
何かを言おうとしては閉じる唇が不機嫌そうに歪んで、そのまま引き結ばれる。
お得意のだんまりかと判断した金時は下から覗き込んで首を傾げた。
嫌そうに顎を引く土方の表情が警戒を表している。

「そんなことよりさァ、なー今のもっかいしてくんね?」
「ざけんな!! 調子に乗んじゃねェ。あんなもん100年に一度だ」
「えええ、おまっそんなんじゃ最後まですんのに何千年かかるんですかコノヤロー」
「っていうか死んでも出来んのか」
「なせばなる、なさなくてもなしちゃえばいいんじゃね? 何事も」
「馬鹿だ、馬鹿がいる」

きっぱりと切り捨てた土方が月の道の上、はるか虚空を眺めて。

「先はまだ長ェな」
「来世で一緒になってくれんだっけ。楽しみじゃねーの」
「…!! てめっ、馬鹿にすんじゃねェぞコラ!!」
「してないもん、金さん楽しみなだけなんだからね。幸せにしてね、土方君」
「知るかボケ。俺は一人で幸せになってやらァ」
「ッていうと思いました。オメーどんだけ照れてるんですかコンチクショー。そう言えばそう言うところが好きなんでした」
「あァ!?」
「瞳孔開いていても可愛いと思います」
「作文ン!?」

青筋を立てた土方へ、金時が意味深に笑った。

「どうせ向こうの世界行っても時間は腐るほどあんだろ? 先は長いよ、土方君」
「上等だコルァ」

低く凄んだ声に、それぞれの方向を向いて口元を弛める。
金時の差し出した手のひらへ控え目に重なる手、指先を悪戯に絡めてくるのを捕まえれば。
俯いて小さく笑う気配を見つけてどうしようもなく。
こうして触れたいと願ってきた幾千日を飛び越えて今、この瞬間が最上の時間だと心が訴えて。
思い残すことのない人生を振り返り、並んで月光を辿る二人。
永く別れていた心は今重なって、漆黒の空に敷かれた銀色の道を行く。
ポツリポツリ話す思い出はキラキラと夜に落ちて。
一つ一つ星に変わる言葉を振り返りもせずに、二度と離れまいと繋いだ手に力を込めた。















−おわり−

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元々はまりのさんに捧げたお話をサルベージ。

葦原 瑞穂