砂利混じりのアスファルトを踏む音がする。歩幅に合わせて規則的に響く音は、割れた天井を抜けて消えていった。項垂れたままでも分かる、懐かしい足音の持ち主はややして地面を蹴りつけたようだった。地面を跳ねた石が臑にぶつかり転がっていく。
孤を描きそうな唇を引き締めて舌打ちひとつ、きつく眉間に皺を寄せれば予想と違わぬ声が届いた。
「よォ、久方ぶりだな」
応えることも出来ず固く握りしめた拳だけを視界に写して背を丸める。
「とうとう耳まで遠くなったか。糖尿ってのは随分と怖ェ病気だな。ああ、それとも蠱毒が回りきって動けもしねえか。元々の白髪と相俟って分かりづれェことこの上ねえ」
一歩一歩近づいてくる気配、視界の端に汚れたブーツの爪先が見えたところで衣擦れの音がする。手が伸ばされたと思うや否や、体を引こうとして鋭い痛みが体を軋ませる。
う、とこぼれた呻き声と、苦みに満ちた煙が吐き出されるのは同時だった。
「今更下向いたところで隠し通せるもんでもねェだろうが。いつまで経っても往生際の悪ィ野郎だぜ。それに何だァ? その似合わねえ服は。イメチェンなんざしたところで天パはカモフラージュできねーぞ。それにその刺墨、孤独突っ走る厨二病キャラは高杉だけで充分足りてんだけど。それに得物も変わってるようだがアレか、もう通販利用する金がねえのか万年貧乏人」
「うるっせーよ!! てめっ、今まさに死にかけてる俺に言う台詞じゃねェだろうがァァァァ ちょ、これ見える? ぐさっと一突きされてんの、心臓掠めてんの。もう間もなく死のうとしてんのね? 後はゆっくり目を閉じてお決まりの走馬燈なんか見たりしてハードボイルドに一人で死んでいこうとしてんのね? それを何ですかお前は瀕死の主人公に対してダメ出し!? 少しは労りなさいよォォォ」
バッと顔を上げて睨みつけた先の男は胡乱げに目を眇めてタバコを噛みしめた。苦々しいという言葉がぴったりの表情で「ハードボイルドォ?」なんて首を捻っている。
「せいぜいテメェにお似合いなのはTo LOVEるじゃねえのか色男さんよ。何人の女が泣いたと思ってる」
「……そりゃね、銀さんは皆のアイドルだから草葉の陰で泣く女がいても仕方ねェよ」
「ハッ、死にそうなのはテメーの方じゃねえか。…女たちはピンピンしてらァ。しかしおかしいな、俺の知ってるお前は女の涙を止めるのが得意な男だと思ったがとんだ見込み違いかね」
「随分と買い被ってくれんじゃねーの。どうせならその台詞、ずっと前に聞きたかったなァ」
「………………………………」
今度は黙りこんでしまった男を見上げて、何しに来た、と問う。本当はそんなこと言いたいわけじゃないのに、伝えなきゃいけないことがあるはずなのに出てくるのは軽口ばかりだ。
こんな風な遣り取りを幾度してきたことだろう。手が出て足が出て、時には抜刀するほどの物騒さで交わしたのは恋情なんて甘ったるいもんじゃなく、実にもならない悪口ばかりだった。それでも重ねてきた年月と、隙間を縫うようにして合わせた肌、言わなくても分かるだろうと言う逃げで肝心の言葉を伝えぬまま。
お互いに守るものがある身で、繋げることが出来なかった気持ちはそれでも、言わなかったからこそ大事に温めてこられたのだと思う。命が潰えるこの瞬間になら伝えても良いだろうか、それとも未練ばかりを残して彼を縛り付けてしまうだろうか、ぐるぐると巡る思考に眩暈までしてくる。
情けねェなと、吐き捨てて話題を変えてしまおうかとしたその時に、ライターに火を灯す音が聞こえる。ポッと現れた火に燻される煙草。懐かしい仕草に気持ちはすぐに五年前に戻ってしまう。まだ動く手を伸ばして抱き寄せてしまいたい、抗いがたい衝動を嗤うように、男は目の前に膝をついた。煙草の匂いがする、記憶のままの彼の匂いだ。
「ひじかた…」
零れた名前、呼ばれた土方の眉間がグッと寄った。
「やっと呼びやがったか莫迦野郎。お望み通り労わりに来てやったぜ。往生際の悪い、テメエが足掻いたおかげで未来が変わりそうだ」
「………………………………ッ」
弾かれたように顔を上げる。そのことは自分と源外のじいさんしか知らないはずだ。否、正しくは全容をしっているのは自分ひとりのはず、何故と考えるうちに随分と剣呑な顔つきをしていたらしい。ひょい、と肩を竦めた土方の手が、口許を汚す血糊を拭ってくる。過るナノマシン型ウイルスの脅威に咎めようと振り払った手を捕まえられる。土方の後ろへ引かれた手と引き換えに、煙草の香りが染みついた体が飛び込んできた。土方の手から煙草が投げ捨てられたのが見えた。
震えているのは土方だけじゃない。背中の布越しに感じる指先の強さに、自分のものじゃない心臓がどくりと脈打った。自らの手で止めることもできなかった心臓が今更ながらに走り出していく。頬をくすぐる髪の感触が、必死で繋ぎとめていた理性を崩し始めていた。
「は、なせ…、俺が何のために今まで……」
「あぁ、知ってる」
知っているわけないじゃないか、と頭に血を昇らせて吐き捨てれば、土方は深い声音で知っている、と繰り返した。焦点をやっと結べるくらいの近距離で鼻先を寄せられると、吐息が混じり合う。密やかな囁きを交わす近さで、静かに土方が話し始めた。
「お前が何を追っていたのか、消えたのか、調べなかったとでも思ったのか。万事屋のガキ共じゃ持ち得ねえ伝手ってもんがある俺が」
「………………………………」
「一端の警官だぞ、俺ァ。民間人が消えたとなっちゃあ腰を上げるのも当然だろ。それに、テメェはガキ共に危ねェ橋を渡らせることなんざさせたくなかっただろうからな。ま、結局は誰かさんに似て色んなことに首突っ込んでたみてェだが。とにかく、残されたメモを手掛かりに桂と頭突き合わせて行き当たった推論の裏付けが取れたのはつい最近だったけどよ」
「ヅラと…」
「俺の持ってる情報網じゃ足りねえ分を補うには必要だからな。流石は俺たちの目を掻い潜って活動していただけあるな。細かく根を張っていやがってよ、こりゃ難儀するわけだ。ま、何の因果か俺たちも攘夷浪士に転職したわけだし、利用させて貰ってるがな。ったく、警察から攘夷志士に鞍替えたァ莫迦な上司がいると苦労するぜ」
何でもないことのように言うが、反目し合っていた桂一派と手を組むまでにはどんな葛藤があっただろう。幾ら自分たちが架け橋となって腐れ縁を結んでいたとしても、お互い目指す処が違うのだ、摩擦が大きいことは想像に難くない。
「ヅラとテメェらがねぇ・・・。そりゃ見物だったろうな。電波とゴリラが揃って投獄、残された化け物と鬼はお手手取り合ってなんですか、世の中のケチャップをマヨネーズと置き換えるテロ活動でもしてたんですか」
はぁ、と辟易とした溜息が首筋を撫でる。どことなく感じる怒気に皮膚が戦慄いた。
「土方?」
「テメェはこの期に及んですぐバレる嘘を吐くんじゃねえよ。見てたんだろ、ずっと」
どん、と背中を拳で叩かれる。衝撃に跳ねた体を突き放され、胸ぐらを捕まれた。額をぶつけて睨みつけてくる眦が赤い。寄せられた眉と潤んだ瞳は重ねた肌の湿度を思い出させる。覚えのある悪寒が尾てい骨から背筋にかけて登り、思わずごくりと喉を鳴らした。
「ここから俺たちのこと見てたんだろ」
この星が少しずつ死んでいくところを見ていたんだろうと言う。違うよ、見ていることしか出来なかったんだよとやっとの思いで言えば、土方は小さく首を振った。サラサラと揺れる前髪と露わになった額が白く光のを眩しく見遣る。頭のどこかで、土方の額を見られるのは俺だけの特権だったのになぁと思った。
汗の浮いた額に良くくちづけたっけと口元を弛める。まともに話を聞いてやりたくとも意識をひとつに留めるのが難しくて、記憶と現在が混在してしまう。
土方の手のひらに頬を包まれて意識を戻される始末だ。
「見てることしか出来なかったんじゃねェ。テメェは・・・ちゃんと目を逸らさずに見てたんじゃねえか。ガキ共の頑張りも、お妙が気丈に病と戦ってるところも、一度繋いだ絆を断つことなく真っ当に生きる仲間たちを。助けたかっただろうが、手を伸ばさず我慢出来てたじゃねえか。逃げることも考えを放り出すことも出来ただろうに、最後までテメェの思う士道を曲げずに足掻いたんだろ」
「・・・曲げるもなにも、手前勝手に腹を切ることも出来ねえ、死ぬことも出来ねえで病原菌を振りまく俺のどこが足掻いたってんだよ。この世界をぶっ壊したのは高杉でもねえ、俺だよ」
「でも、お前は誰も傷つけなかった」
「だから!! 俺が巻き散らしたウイルスで何人が死んだと思ってんだよ! どの面下げてそんなこと言ってんだっ」
声を荒げた銀時の頬から耳を撫で、土方の指が髪へ差し込まれた。手櫛で髪を整えられ、埃は払われる。顔についた汚れも粗方落とされたところで土方が笑った。
「似合わねェなァ。いつもの片袖抜いた着流しに洋服の節操ねえ格好の方が余程マシに見えるわ」
「話逸らしてんじゃねぇよ」
「久々によ、テメェのコスプレした、いや五年前のテメェを見たから余計そう感じるのかもな。話も逸らしてんじゃなくて、らしくねえっつってんだよ。五年前のテメェを呼んだのは何のためだ、っつーかよ、この世界をぶっ壊したと言ったが、それは間違いだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「正しくは、この世界が終わる。助かるんだってことを俺は伝えにきた」
「どういう・・・」
「五年前のテメェが首尾良くやればの話だが、そうすれば未来が変わるってことはテメェの天パでも分かるな?」
「いや、天パこの際関係ねぇんだけど、今すっごい大事な話してんのに全然頭に入ってこないんですけどォォォ」
「未来が変わったら、五年前に対して未来に当たる今はどうなると思う」
「無視かよ。・・・そりゃ、俺が死ねばこれ以上白詛に罹る人間が減って元通りの世界になるんだろ」
そのために五年前の自分を呼び寄せて己を殺させたのだ。他の誰でもない自分に現在・過去・未来の『坂田銀時』殺しの業を背負わせるために。自分がいなければ世界を蝕むウイルスは消えてなくなる、守ろうと決めたものが守られる、それでいい。そう思っていたのに、土方は違うなと切り捨てた。
「この世界は変わった未来に統合される。吸収されるつった方が感覚が合うか」
眉を歪めた銀時の表情を正しく読み取り、土方は噛み砕いた表現を探しているようだった。僅かの隙間を置いてしゃがみ込むと、身振り手振りを加えて説明してくれる。
「紙縒りや組み紐を想像すりゃいい。俺たちが通ってきた道は一本かもしれねえが、ここに至るまでには複数の選択肢があっただろう。その選ばれなかった選択肢の先にそれぞれの未来があるんじゃなく、幾つもの選択は一つの未来に向けて複雑に絡み、編み込まれていくらしい」
俺も受け売りだから理解できてるかどうか分からねえが、と目を眇める土方は源外の言葉を借りているらしい。さすがタイムマシンを製作できるだけの頭脳の持ち主と言うところだろうか。突き詰めれば、今いる世界は、変わった先の未来に吸収されて行くと言う。銀時ひとりの未来ならばどうという変化はないだろうが、白詛はこの星、引いては世界に関わるウイルスだ。不幸中の幸いだと、土方は目蓋を落とした。
夕暮れの日差しが睫毛にかかり、頬へ長い影を落としている。少し目を伏せた土方を覗くこの角度が好きだった。触れるために伸ばした指へ、土方が頬を擦り寄せてくる。
お前の生き死にはこの星にとっちゃ瑣末な問題だが、白詛はそうはいかない。いずれこの星を滅ぼすウイルスが根絶やしにされたとなれば、辿るべき未来は決まったものだ。だから大丈夫、と言い聞かせる含みで呟いて、土方が小さく笑う。
「お前が送り込んだ五年前のお前は、何も失っちゃいねえから。病に冒されてもねえ、守るべき仲間もすべている、完全無欠のかぶき町の坂田銀時だ。負ける道理がどこにある」
「………………………………」
「心配すんな、お前は信じられなくても俺が信じてやる。…大体よォ」
吐息に混ざる笑い、遠く懐かしむ声音の後土方は一旦口を閉ざした。暫しの沈黙ののちに、後頭部に手を回されて髪を混ぜられる。子どもにするような宥めの仕草で、軽く頭が叩かれた。
「往生際が悪いのはお前だけじゃねえってこった。そりゃひとりじゃ無駄な足掻きかもしんねーが、お前の周りにいる奴らはそんなお利口さんが多かったか? 俺の記憶が正しけりゃァどいつもこいつも強情っ張りの頑固者で、損得なんかじゃ動かねえ掛け値なしの莫迦ばっかりだと思ったが。そいつらがいて乗り越えらんねえ壁なんてねェよ。力づくで片っ端からぶち抜いて行くに決まってらァ。お前は、その筆頭だろ」
「……良く言うよ、お前が一番の強情っ張りのくせして」
「だから信じてやれ。お前じゃなくて、お前の周りに入る奴らを。そうしたら」
「うん、信じる」
声が、震える。腕の中にいる土方へ漸く手が回せる。きつく抱きしめて、ぴったりと合わせた胸に重なる鼓動、刀傷から溢れる血液で汚れてしまうかもしれないと思うも、離してやることが出来ない。せめてもの照れ隠しに、信じるからさと前置いて。
「お前は、それを伝えに来てくれたの」
問い掛けの語尾が掠れた。土方もまた銀時の背へ腕を回すと、力を込めてくる。
「莫迦言うな。俺は言いに来たんだよ」
土方の声もまた、喉の奥を引き攣らせて応えた。違う体温が重なるところから融けていく。少しだけ低い自分の体温、いつもなら土方の方が冷えていたのにと、口の端に零した笑みを拾われる。
笑ってんじゃねえと諌められ、視線が捉えられると、露わになった額に手加減した頭突きを食らわせてきた。怪我の響く体では容易く眩暈を起こしてしまい、思わず咎めれば。
「ちょっ、マジでやめてくんない?! ああーコレ頭割れたわ、絶対割れたわ」
「安心しろ、頭が割れても割れてなくても死ぬから」
「テメェコノヤロー瀕死の俺には何言っても良いってかァァァ!?」
「ちっ、最後までうるせーな聞けよ」
「…何だよ」
恨みごとの一つでも零しに来たかと、有り得もしない空事を呟けば、土方は佇まいを直してじっと銀時を覗き込んだ。こんなときでも綺麗だなんて思える自分がおかしい。
「テメェに惚れてるって言いに来た。甲斐性なしのマダオに足開いてやってんだから察しろと思ってたが、もう良いだろ。俺らがいるこの世界が消えてなくなるなら、もう言っても良いだろ。本当はずっと、テメェが好」
「いいの」
「あん? 何だテメェ、人がせっかく」
「そんなこと言っても良いの。お前には真選組が」
「そうだな」
「沖田君だって遅めの反抗期迎えて何アレ、版権ギリギリのコスプレ気取っちゃってるし」
「ああ」
「ジミーは相変わらず地味なままマイナーチェンジもしてねえし」
「…うん」
ほろほろと紡がれていく言葉、視界までが揺れてくる。じわり、滲んで土方が見えにくくなるのが惜しい。頬を滑る水滴が顎先を辿って土方の体に落ちていく。鼻の奥が鋭く痛んで、啜り上げながら一つひとつ確かめるような銀時に、土方は丁寧な相槌を寄越してくれた。ただ、近藤をゴリラと呼んだ時、すかさず入れてきた訂正には笑ってしまったが。
「聞きたいことはそれだけか? 俺が守ろうとした近藤さんは、真選組は、ちゃんとある。大丈夫だ、全部消えてなくなっちまうなら、誰かに壊されたもんじゃねえ。最後まであの人を守れてる」
「らしくねえのはお前じゃねェか、土方。最後の瞬間ですらゴリさんの剣でいるのがテメ」
「だからだろうが。安心しろ、テメェがおっ死んだら近藤さんの元へ向かう。その前に惚れた男に好きだって言いに来て何が悪い」
「ふはっ、男前ェ…。さすが、町娘に騒がれる副長様は違うねえ。あーもう、格好良すぎて涙出てきた」
次々に零れる水滴を涙と認めながら、土方を抱く腕に力が籠もっていく。その足で近藤の元に向かうなんて嘘なんだろ、なぁ土方。俺もお前もホラ、少しずつ輪郭が消えてきた。淡く色が抜けていく肌、元々日焼けもしない性質のようだったが、随分と色味がなくなってきた土方の肩に額を埋め、奥歯を噛み締める。
「じゃあさ、また会えるの」
「さァな。そこまでの腐れ縁じゃねえと信じてえが」
「屋根の上でさ、また斬られんのかなァ」
「次は仕留めてやらァ」
「んだよ、会えるってお前も思ってんじゃん」
笑おうとして上手くいかず、ぎこちない吐息を繰り返す。
「言ってもいいのかな」
「………………………………」
「俺も、……俺にもそんな資格あんのかな」
「知るかそんなもん。俺ァきっと白詛もなんもねえ、五年前なら死んでも言う気はなかったが、どうせ世界が消えちまうならいいかと思ったんだよ。テメェは良いかどうかなんて知るか」
ふん、と鼻息荒く言い放つ土方が背中をさすってくれる。呼吸が出来るようにゆっくりと撫でられるのはいつ以来か。子どもの頃を思い出して目の奥が再び熱くなる。
(先生ェ………)
思い出すときはいつも背中の大事な人、振り返って何事かを呟く唇と、土方の声が重なる。
「頑張ったな」
語尾こそ違えど、褒めるようなその言葉にかみしめた奥歯が解けて嗚咽する。トントン、と背中を叩かれ、上から下に撫でられる。僅かに体を揺すられて、本当に人を甘やかすのが上手いと。
頑張ったかな、俺と鼻声で聞けば「ああ」と頷かれるから。
「好きだ、ッ、好きだ、すきだすきだすきだ」
「おう」
洋服を掻き毟るように抱き締めれば、同じだけの力で土方も抱きしめてくれる。頬をぴったり合わせて顔を見ないようにしてくれるのは土方の配慮だろう。
「俺も、一生言わねえ気でいたけど、手ェ伸ばすことなんざ出来ねえって、しちゃいけねえって、でも」
「………………………………」
「最後だもんな、もういいよな、きえるならもう、お前を好きだって言っても」
「いいよ」
許されるとは思ってもみなかった。けれど、誰かに許しを与えられてはもう駄目だ。必死に保っていた理性がぐずぐずに溶けて、弱さが顔を出してくる。
僅かに体を離すと土方の顔が見えた。泣きどころが分からない、意外にも涙もろい土方は涙ひとつ零しておらず、ただ柔らかい瞳で銀時を見詰めている。どこまでいっても決まらず情けなくもなるが、それが自分だ。恥ずかしげもなく込み上げてくる涙をそのままに、銀時は願った。
「頑張った銀さんにご褒美ちょうだい」
「………………………………」
「この世界の最後の瞬間まで傍にいて」
土方も消えてきたことに気付いたのだろう、いとおしげに銀時の髪を撫でて「そりゃァ出来ねえなァ」と嘯いた。このまま離れる気なんてないくせに、体を遠ざける仕草を見せるから「離さねーよ」と引き寄せる。鼻先が触れ、土方の目蓋が落ちたところで唇を合わせる。血の味がする色気もないキスだ。
「薄くなってきた。五年前の俺も頑張ったかな」
「そうみてえだな」
「もうすぐだね」
指を絡ませて手を握る。かさついた肌を親指で撫でた土方から、くちづけが与えられた。
「だから言ったろ、本当に往生際が悪いんだからよ」
「いや、頑張ったんだからそこは褒めてよ」
「生憎と俺ァ今のテメェ褒めるのに手いっぱいだよ。五年前のお前は五年前の俺に褒めてもらえ」
「うん。今のお前は銀さんのものだからね」
「………………………………」
「そこは頷いとこう、土方くん」
幾度となくくちづけを交わして惜しむ余韻、キスしかできないのが勿体ないねと言えば、非常事態にこれだけできりゃ充分だろと土方が呆れる。そうか、非常事態だから告白もできたのかなんて思いながら、くしゃりと顔を歪める。
「お前の気持ちが聞けたのは嬉しいけど俺、…俺ァもうちっとこの世界で生きたかったなァ」
「…………………………ッ」
銀時の思わぬ弱音に目を瞠った土方が、わなわなと唇を震わせる。次いで零れる涙がなだらかな頬を伝った。突然の変化に驚いて問い質そうとすれば、我武者羅に唇を合わせ、咥内を探られる。煙草の味がするそれを飲み下して応えれば、土方が肩を震わせた。泣いているその背に触れようとしたところで、きつい眼差しに睨まれる。
「依頼だ。テメェのその間抜け面を未来でも拝ませろ。それから一発殴らせろ」
「えええー…依頼とか言われても殴られるのは勘弁なんですけど」
「そんで、俺に老衰でくたばるところまで見せろ。いいな」
「………………………………」
「何でも仕事請け負う万事屋なんだろうが」
「よろずや」
「ガキ共と莫迦でけェ犬と一緒に万事屋の看板背負って呑気な面晒しにきやがれ」
分かったな、と怒鳴った土方の頬がだいぶ薄くなっている。もう少しで喋ることもできなくなってしまう。最後の最後まで銀時の望むことを叶えようとする土方が好きだ。
消えゆく最後の瞬間までかぶき町の万事屋として生きていられる。実質解散状態とはいえ、自分と新八、神楽がいればそれが万事屋なんだろと言外に土方が伝えてくる。
みっともなく泣き出しそうなのを堪えて、いつもの表情を心がける。死んだ魚の目と土方が称したやる気のない瞳と、おどけた仕草で未来の約束を。
「オーケィ、我が命に代えてもォ。万事屋銀ちゃん最後の依頼承りました。報酬は未来で待ってるぜ」
「ほざけ、果たしてから言えよ、そういうことは」
「うん、ちゃーんと仕事はこなすから、だから」
また会おうね、という銀時の言葉に、今度こそ土方が唇を噛み締めて泣いた。
「くそっ、俺は泣かねえって決めてたのに。さっきまでテメェの方が泣いてたくせして、こんな」
「いやまあね、そこは好きな子の前では格好つけたいでしょ」
「…ッ、俺よりテメェの方がよっぽど強情っ張りだろ」
「銀さんほど素直な人間いたら見てみたいですゥ」
唇を尖らせた銀時を恨めしげに睨んでいた土方の体はもう、半分以上が透けて背景を通してしまっている。自分もさぞかし、と視線を落とせば、小汚い階段の端が見えるだけだ。最後に見るのが土方と落ちていく夕陽なんて上等過ぎる。
未来の約束も済んだ、今のわだかまりも消えた、過去はちゃんと持っていく。心残りはひとつだけ、もう一回抱いておけばよかったとそれだけだ。でもまァそれも良いかと。五年前の自分なら一生聞くことのできなかった土方の本心が聞けたのだ、充分だろう。ありがとうと言うと終わってしまうような気がして、適切な言葉を探した。逡巡する銀時を待ちながら、土方が何かを言おうとする。それを遮って口を開いた。
「俺にしちゃ上等な人生だったわ。また、未来で会おうぜ」
消える寸前なのだろう、言葉も出せない土方がこくりと頷き、唇を寄せてきた。目に痛むほどの夕暮れは恐ろしいほどに綺麗で、土方の輪郭が辿れないことが悔しい。ハッキリと見えたならとても綺麗だろうに。目を閉じるのが惜しいなと思いながらも、口づけをするために目蓋を落として柔らかな唇を待つのだが。触れ合わない体温、先に消えたのはどちらが先だったのか、二人とも同じ未来を描いて、しんとした闇へ世界ごと飲み込まれていった。
* * *
もういい加減にしてくださいよ、と新八に諌められ、銀時はがりがりと襟足を掻いた。お小言を右から左に聞き流した。
土方と出会えば小競り合いからの乱闘に発展するのはいつものことだ。すかした態度が気に食わない、本当は幼い内面のくせして大人ぶって、何もかも飲み込んだフリをしている。冷静な副長の仮面がずれるとぞくぞくする。面白いほどに突っかかって来るのが楽しくて、腹立たしくて、ついからかってしまう。今日も今日とてかぶき町をふらふらしている銀時へ、見るに見かねた新八が怒るのはいつもの風景だ。
神楽は定春のリードを引きながら、もう何を言っても無駄ヨ。銀ちゃんの脳みそそんなに容量ないアルなんて可愛くない口を叩いている。
へいへい、と耳をかっぽじっている銀時は、町並みの向こうに沈んでいく夕陽を見遣った。途端に胸の奥が引き絞られる。着流しの合わせを掴んで首を捻っていると、隣を歩く新八が「あ」と声を上げた。視線の先を追えば、道端に向けて紫煙を吐きだす土方を見つけた。
(あれ、夕陽に照らされたデコ。白くて…ってアレ? いつものV字全然羨ましくなんてないんだからねサラサラヘアーだよな)
険しくなった表情と真ん中で分けられた前髪とロングコートを描いたところで首を捻る。そんな服を着た土方なんて見たことがない。刀を下げて、いつも通りの真選組の隊服を着た土方は、道に落ちた視線を上げて銀時を見つける。
絡んだ視線、すわ喧嘩が始まるかと肩を竦めた新八の横、銀時と視界の向こうの土方が駆け出す。拳を振り上げるのかと思いきや二人は、体をぶつける勢いで抱きしめ合った。
「えええええええ!!」
新八の絶叫を余所に、銀時も土方ですらも意味が分からずに絶叫を重ねる。何だこれ離れろと言う割に土方の手も銀時の背に回っている。ただ、夕陽が目に染みる度に泣きたくなるような衝動と、離れがたい感情に包まれる。目をぐるぐる回している二人に向けて、神楽が呑気に「おしくらまんじゅう楽しそうネ」と笑う。
新八がダラダラと冷や汗を流しながら「え、そんな感じなの、そうなの、あの二人ってどうなってんのォォォ」と怒鳴るから、違ェよと土方と二人声を揃えるがしかし。
また未来で会おうぜ
脳裡に銀時の声での台詞が響き、同時に顔を見合わせる。潤み始めた瞳、こいつより先に泣いてたまるかと思いながら、言い知れぬ幸福感に包まれる。
抱き合う大人二人に硬直する少年、笑う少女、お座りする犬。
「何だか二人とも幸せそうアル」
ね、と同意を求められた定春はくりくりと大きな目を眇めながらわん、と嬉しそうに鳴いた。
葦原 瑞穂