Northern Light codeS:1 <20>



「終わりにしましょう。    全て、全て」

 蘇った声は誰のものか。

「俺とあなたは相容れない。如何したところで、どのみち必ず駄目になる」
「く、ッ…」

 跨った己の体の下で、ドラクロワは微かに眉を顰めた。

「なら、終わりにしましょう。何もかも、終わらせる。あなただけが悪いとは言わない。俺も    直ぐに、俺を終わらせるから」

 ぐぐっと手指が更にドラクロワの首を締め上げる。

「…は…はは…」

 やがて、詰まる息の中で彼は笑った。

「…メナーディ、やっぱり…それが、オマエの答えか…? …悪くは無いな」

 永遠に連れて行けるのなら、それもまた    悪くは無いだろう。

「永遠なんてありはしませんよ。ヒトが望んで手に入れられないものなんて幾らでも在る。それは、如何したって無理なものだから」
「そう、だろうな。……けどな、メナーディ。覚えとけ」

 そうして彼は、その時確かに笑った。
 昔から見続けて、昔は傍にあって、そうして大好きだった、憧れた笑顔で。

「俺は絶対に    

 どれ程時間がかかったとしても、他の誰か、何かとして生まれ変わったとしても。

    オマエを手に入れる」






 愕然とした。
 脳裏に蘇った、自分で無かった自分と、彼で無かった彼の最期。

    ……」

 彼は、笑っていた。
 息絶える間際だと言うのに、いつものように大胆不敵に笑っていた。
 絶対に手に入れる    と、言い残して。
 苦痛でも無く。
 憎悪でも無く。
 嗚咽でも無く。
 そしてまた、断末魔でも無く。

    ……」

 フォルクスの手から、するりとルークが抜け落ちた。コンクリートの屋根地に落ちて、カラカラと乾いた音を立てる。
 そうしてそのまま、壁を背にしてへたり込んだ。
 彼が一歩一歩、近付いて来るのが分かったが、今のフォルクスにはそれを気にする余裕も無く。
 その唇が笑みに曲がるのを、視界の隅で見た。
 伸ばされた手が、そっと頬に触れる。

「長かったな。やっと    

 けれど、ふと止まる声。
 気付けば、フォルクスが頬に這わされた手を掴んでいた。己から引き剥がし、フォルクスは顔を上げて真正面から男の顔を見る。

「…例え昔が如何であれ、やすやすとお前のものになる気は無い」

 男は黙って肩を竦めた。

「ふぅー…ん。ナルホドな」

 フォルクスはルークを手にすると、素早く男から離れた。その距離に紛れも無い拒絶を感じ取ったのだろう、彼はふっと息を吐くと、纏っていた空気を一気に闘気へを変える。

「なら    実力行使、か。ま、良いだろ」

 そうして構えたのは、立派な男の手が象る拳。

「来いよ!! クロウリー・クロウラーのゼスト、本気で相手をしてやる」
「なッ…クロウリー・クロウラー!? 馬鹿な、貴様が…ッ」

 フォルクスは驚きを隠せない声音で呟く。自分と同じ、最高位のクロウリー。まさか、彼がと言う思いはあるが、それでもルークを構えた。
 だが    と思う。
 勝機が無ければ仕掛けてくることは無いだろう。彼のコンディションが如何であれ、少なくとも自分のコンディションは最悪だ。先程倒れるまで無理した挙句のことである、まともに相手が出来るか如何か。
 否、恐らく、此方に勝ち目は無い。
 相手がクロウリー・クロウラーである以上、平静時でも力は互角か、微かな差。その場合モノを言うのは双方のコンディションだからだ。

宝具(イグゼクト)・ラートリー、来い」

 柄をしっかりと握りながら、フォルクスは一度息を呑んだ。
 それでも    このまま、退く訳にはいかないのだと。






 走りながら、樹は立ち止まっては辺りを見回した。
 何か微かな変化でも見逃しはしまいと気を張って。

「フォルクス…」

 呟いた視界の隅で、何かがちかりと一瞬だけ、瞬いた気がした。
 素早く目を向けたのは、ビルが立ち並ぶ空間。その、屋上。
 今までフォルクスとの逢瀬は大学の屋上が主であったことを考えると、そう言う場所にいても何ら、おかしい事なんて。
 暗くて此処からでは良く見えない、けれども、可能性が無い訳では無い。

「しゃーない、虱潰しに…」

 信号が青であったのを良いことに横断して、そのまま先程光の見えた方へと走る。
 今はただ    彼を止めることだけを考えていた。






 かは、と咳き込んだ中に血が混じる。
 外傷は無いが、矢張り無理をし過ぎた。元々空っぽであった力を更に無理して行使したせいか、好い加減休息を求めて体がガタの信号を出しているようだった。
 此れ以上無理をすれば、本当に暫く体が使い物にならなくなる。それでも、退く気は無い。
 退いたら    終わりだ。
 元より、逃げたところで追いつかれるだろうし、この場合退くと言うのは即ち、彼の手中に納まるのを自分自身が許諾すると言うことに他ならない。
 それだけは、何としても抗うべきだった。

「おんやぁ? 如何した、総括? 随分と疲弊してるみたいじゃねえの」

 揶揄する為だろう、リチャードであった男    現在はゼストと言うのだろう    は業とらしく総括、と口にする。
 日本領域の総括、それが現在のフォルクスの立場だ。
 そうして、その口振り。とうにフォルクスが元々本調子で無い事を知っているものだった。

「今更だが、クロウリー同士の私情による私闘は禁じられてる。まあ、ホント今更やな」
「…ぬかせ」
「上にちょっとばかし怒られたとしても    それでオマエが手に入るなら安いね」
「誰がお前のモノになぞなるか。…寝言は寝て言うんだな」

 強がって皮肉を敲くが、正直なところ、体は本当に限界だった。
 何より    内の力が足りない。
 外の力はもう少しならば技量で如何にかなる。けれど相手が相手だ、双方を駆使しないことには勝機は無いだろう。今のフォルクスには、それが欠けていた。

「…少し、悠長に構え過ぎたか」

 一人呟き、先程からずきずきと痛む脇腹を押さえて膝を立てた。

    馬ァ鹿。オマエの力が足りないことなんざ、お見通しなんだよ」

 そうして笑った口元は、ああ、矢張りあの男だと十分に思い知らされるものだった。
 変わっていない。
 その口調も、仕草も、何もかも、何より    その、笑った顔が。

「……」

 フォルクスは暫し、彼の口元を見詰めてしまう。
 二度と帰れない、帰れるとも思わぬ時間軸。己が人間として生きて、こんな世界など何も知らなかった頃、確かに隣にあった姿。
 今の自分はもうメナーディでは無い筈なのに、あの声でメナーディと呼ばれると錯覚してしまいそうになる。これは全て夢なのではないかと。
 起きたらいつもの朝の祈りが始まるのでは無いかと。

「…? 如何した?」

 フォルクスの様子に気付いたのか、ゼストはふと、構えを解く。

「いや…詮無い事を考えていた。これが夢なのではと」
「夢なら    良かったのにな」
「ああ、…そうだな」

 過ぎし日について、誰しも思うことは同じ。
 それが無駄だと分かっていても、思わずにはいられないのが現実だ。

「けどな。きっとこれが夢で、夢が覚めたとしてもオマエは俺のモノにはならなかったろうよ。だから俺にとっては、これが夢であろうと現実であろうと変わらない」

 そうだろうか。
 本当に、そうだろうか。
 もし、これが夢であって、朝になって夢から覚めるのだとしたら、それはまだ彼と破綻していない頃だろう。覚めればまた、彼は隣の部屋にいるのだ。
 なら    まだ、手遅れにはなっていない筈だ。
 犯し、犯される関係が変わっていなかったとしても、そこにはまだ確かに時間がある。短絡的に全てを切り捨てるよりも、もっと他に出来た事があった筈だ。
 手に入れる手に入らないとの思いがあっても無くても、少なくともあの時、二人が迎えてしまった破滅よりはずっと手は残されている。
 今ならば。
 もしも、夢であったら。

「……」

 そんな、詮無い、たら、れば、を考えて、フォルクスは一人、自嘲を洩らした。

「…下らない」

 本当に、下らない。自分で考えた事とは言え、これが夢であったらとは。まごう事無き現実を自分自身に突きつけられるのを感じていながら尚、逃避を夢見るのは意志持つ存在のサガなのだろう。
 だからこそ、弱くて。
 弱くて、弱くて    …、結局、自分達は何かを間違えた。
 だから、足りなかった。
 何を間違ったのか。
 何処で間違ったのか。
 そんなもの、分かれば苦労はしない。

「……」

 フォルクスは再び、ルークを構え直した。降参なぞしない。あの悪夢の二の舞はごめんだった。今度こそ、本当に動けなくなるまで抗うまでだ。

「諦めるか?」
「…誰が」
「相変わらずだな。まあ、そのくらいじゃねえと面白くねえからよ」

 ぐい、と血の滲んだ唇を拭って、フォルクスは彼を見据える。

「…降参はしない。来い」
    遠慮無く!!」

 間近に迫った拳、冷気の風を纏うソレを避けるのもままならない。結局はこれで最後かと、動かぬ体を抱えて口惜しさに唇を噛んで目を伏せた時、だった。
     ドッ!!
 鈍い音が聞こえたものの、衝撃はやって来ない。代わりに聞こえたのは、ゼストの声。

「…な」

 言葉にもならない声、フォルクスは力を振り絞って瞼を開けた。
 そこに、立っていたのは。

    …!?」

 まさか、と思う。
 ああ、でも間違える筈が。
 ゼストの拳をその腕ごと受け止め、がっちりと己の腕でロックしているのは、樹だった。受け止めた時に飛び散った風が頬を掠めたのだろう、一筋の血が滲んでいる。
 樹は素早く身を翻すと、体勢を低くしてゼストの腹部に渾身の一撃を叩き込んだ。

「ッ!!」

 予想外の乱入者に予想外の反撃を食らい、流石にマトモに入ったようだった。
 だが、ゼストも確かに戦い慣れているらしく、直ぐに体勢を立て直すと腹部を押さえてコンクリートに着地する。
 見る間にゼストの瞳が不快気に歪んだ。

「誰だ、オマエ」
「別に、お前に教えてやる名前なんて無い」

 お決まりの問いを、樹はぴしゃりと取り下げる。
 フォルクスには分かった。樹は酷く    怒っている。
 普段明るくて屈託の無い彼があそこまで怒りを露にしている様は、その立ち上る空気からして、ぞくりと身震いをする程だった。

「…良い度胸だな、オマエ    人間か?」
「うるせえよ」
「…少なくとも俺達の同業者じゃ、無さそうだな?」
「黙れ」

 乱暴な口調もそれを裏付けているかのようで。

「…お前はフォルクスを傷付けた。俺はそれが赦せないだけだ」
「フォルクス?」

 ゼストは微かに眉を顰める。名前を知っていると言うことは、それなりに接触があった証拠。要するに、自分達が人間では無いと承知の上であると悟ったのだろう。
 そうして、何かを感付いたかのように舌打ちをした。

「そうか、もしかしてオマエ    

 そこで声を荒げたのはフォルクスだった。

「違う!!」
「あん?」
「樹は関係無い。…お前が考えている相手じゃない」

 ゼストは鼻で笑う。信じていないのだろう。

「ハッ。そんなの、この状況で信じろって言われても無理だろ?     俺の一撃を受け止めたのだってそうだ」
「それは…そうだが…、…でも、違う」
「じゃあ、さっきのはマジで如何説明するつもりだ?」
「…それは…私にも、…分からない」

 何の話だか全く分からぬ樹の向かいで、ゼストは再び拳を象る。その骨が鳴る音すら聞こえそうだ。

「まあ    、もっぺんやってみりゃハッキリするよな!!」

 素早く受ける姿勢を見せる樹だが、そこで動いたのはフォルクスも同時だった。

「わっ!?」

 驚く樹の腰に腕を掛けて引き寄せ、体勢を崩してフォルクスの胸に倒れ込んだ樹を抱えたまま、ゼストに向かって掌を突き出した。
 轟音とバチバチと鳴る火花を散らして、ゼストの拳がフォルクスの前の空間に阻まれる。見えない壁に阻まれたかのように、そこから先へと進まなくなった。

「チッ…まだ残ってたのか    

 忌々しそうな彼の呟きと共に弾かれた拳は微かに血を滲ませていた。
 同時に、樹の背後でフォルクスの体が後ろに傾ぐ。フラリと頼り無く揺れたフォルクスは、そのまま力を失ってコンクリートに倒れた。

「え…、フォルクス? フォルクス? 大丈夫か?」
    ムダだ」

 フゥッと息を吐いて、ゼストは言うた。
 彼の存在を思い出して、樹はフォルクスの前にはだかる。

「…そう言や、メナーディは違うって言ってたな…」

 コンクリートに膝を着く樹の姿を見下ろしていたゼストの呟きを聞き付け、樹は目を見開いた。
 今    、彼は言うた。
 メナーディ、と。
 それは確かに、フォルクスの真名だ。人間であった頃の彼の名前。それを何故、彼が知っているのだろう。そうしてこの、因縁めいたもの。
 そんな理由は、一つだろう。

「お前…まさか…リチャード=ドラクロワ…?」

 今度はゼストが首を傾げる番だった。

「あぁ? 何でオマエが知ってる?」

 それは    、肯定。
 紛れも無く、肯定だった。

「お前が…」

 見る間に樹の中で膨れ上がる、怒り。それは最早、憎悪と言っても良かった。
 噛み締められた歯が互いに擦れて音を立てた。
 だが、先に動いたのはゼストの方だった。ポケットに両手を突っ込み、退散の姿勢を見せる。

「まあ、まだ時間はあるから何もここで無理するこたねえか。    角今まで虎視眈々やってきたんだからよ」
「待てよ、お前…ッ」
「じゃあな、勇ましい人間のボウヤ。クロウリーと関わるのも大概にしときな」

 そのうち身を滅ぼすぞ。
 余裕の姿勢で言うて、樹に向かって挨拶するように片手を挙げると、彼の姿は消えた。

「ふざけんな!! 待てよ!!」

 そう叫ぶが、既に遅く。今までそこにあった姿は何処にも見えない。
 欄干から身を乗り出して見える限りで辺りを探ってみるが、矢張り駄目だった。無論、同年代の中で未だ衰えを見せない樹の視力は確かに良い方だとは言えるが、それでも普通の人間レベルと言う水準に他ならない。
 せいぜい見えるのは景色として雑多にであるし、ここからだと下界の歩道を歩く人間の詳しい数など分からない程度のもので、フォルクス達クロウリーとしての能力を使われてしまったら無力なものだ。

「クソッ…」

 一度、欄干を力任せに叩き付けた。怒りを発散するように強く歯を噛むが、そんな事で苛立ちは収まらず、悪戯に時が過ぎていくだけ。
 けれどもフォルクスの事を思い出して、歩み寄る。

「フォルクス…、大丈夫か…?」

 軽く肩を揺らしてみるものの、閉じた瞼は開かない。
 未だ起きてから数時間も経っていない。それなのにあれだけ体を酷使した後だ。無理も無い。
 如何しようかと思っていると、暫くしてからフォルクスが呻いた。

「っ…く…」
「フォルクス? 大丈夫か?」

 力の入らぬ腕で体を起こそうとする彼を押し止めて、助けるべく肩に手を掛ける。

「無理するなって…。あいつ、もういなくなったから」
「…何処へ行った?」
「…ごめん、それは分かんない。一瞬でいなくなっちゃったし…」

 地面に放り出されたままのルークを探し、それを支えにして立ち上がろうとするものの、膝を着くのが精一杯だった。それ以上は力が入らない。
 外も切れたか、と思う。未だこうしてルークが具現しているのが不思議なくらいだった。視線を彷徨わせてみるが、ラートリーの姿は見当たらない。

「だから、無理すんなってば」
「…何故、此処にいる」

 樹は一瞬フォルクスに問いかけられた事に頭が追いつかずに瞬きをする。

「や、何でって…まだ全然本調子じゃないのに出てくからだろ。心配すんのは当たり前じゃんか」
「…そうじゃない。何故、場所が分かった」
「虱潰しに探してて…、高いとこから探してみようかなって思ってて。そうしたらこのビルの前にイチョウの木、あるじゃん。そいつが、屋上に誰かいるよって教えてくれたから」

 ふ、とフォルクスは唇を解く。

「…こんな時ですら、お前のシンパシティに助けられるとは…不甲斐無い」
「…あのさ、フォルクス」

 躊躇いがちに口を開く樹に視線を向け、フォルクスは先を促した。

「…不甲斐無いとかって言うなよ。それだけ、フォルクスの体が本調子じゃなかったって事なんだから。確かにクロウリーの力は凄いと思う。あいつのパンチ、一回目は夢中だったから受けたけど、正直二回目受けられるか分かんなかったし…、クロウリーに比べたら人間なんて無力なもんだとは思うけどさ」
「……」
「でも、無力な俺達にだって出来る事はある筈だろ」

 樹がこの場に飛び込んできて一撃を回避させてくれたように。
 動く事の出来無いイチョウの木ですら、樹に彼がこの場にいる事を教えてくれた。

「フォルクスは如何やったら俺に助けられてくれるんだよ? どんな状況だったら、誰かに助けられて不甲斐無いとか思わないようになるんだよ?」
「……」
「俺がクロウリーになって同業者とか仲間とかになれば、そんな事思わなくなってくれるか?」

 フォルクスは俯いた。

「…また、莫迦な事を言う」
「罪を犯して死ねば良いんだろ? フォルクス前に言ってたじゃんか。あの説明って裏を返せばそう言う事になるんじゃないの?」
「確かにそうだが、お前には無理だ」

 無理だと言われた事に、樹は少なからず不快を示す。

「無理か如何かはやってみなくちゃ分かんないだろ。    …でも、クロウリーになるくらいの罪って何があんだろ? 殺しとかはやだしな…。相手の親御さんとか悲しむだろうし」
    自殺だ」

 フォルクスの声に、樹は彼を見遣った。















−続く−

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