お決まりの、朝の日課。
ナナカは一心に剣を振るっていた。
じっとしていると昨晩のことを思い出してしまうからだ。
「ナナ兄、なんか今日熱心だね」
「今はじっとしていたくない心境とみた」
部屋の中では双子少女がそんな話をしている。
彼女らの視線の先では、確かにナナカがいつもより熱心に、しかしどこか纏まりなくブンブンと剣を振り回している。
「うぅああぁ」
消えろ消えろと煙を払うようにぱぱぱ、と切っ先で空を切った。
「ナナ兄、どうしたのぉ〜? なんか今日ヘン」
「うるせぇぇ」
「顔赤いけど熱でもあんの?」
「うるせーっつの!」
火照った顔を冷ますために今すぐ走り出したいくらいだった。
少しでも手を止めると、容易にジェイクの言葉が蘇ってきて顔に熱が上る。
一人で延々と百面相をするナナカを見て、シアは首を傾げた。
「やっぱり、変」
エミリオと向かい合って朝食を採りながら、ロディルはふわぁと欠伸を洩らした。
「寝不足ですか?」
「んー、ジェイクが寝かせてくれなくて」
気分だけでもせめての眠気覚ましにととびきり濃い目の紅茶を飲んでいるが、エミリオが見るに、効果は全くといっていいほど無いようだった。
目的の遺跡までは、あと一日程度といったところか。この街を過ぎれば越えるに一日かかる草原に出るため、昨晩はここで一泊した。昨晩は比較的早めに床についた筈だが、相対的に考えて足りていないらしい。
「兄上、ここでもう一泊します? 体調を万全にしてからの方が良いのでは?」
兄の体を気遣って告げた言葉だったが、ロディルは頭の後ろで手を組んで体から力を抜き、あっさりと取り下げる。
「まあ、いいっしょ。さっさと行ってさっさとやってさっさと帰ろ。あ、すいませーん、紅茶思いっきり濃い目のおかわりお願いしまーす」
そんな、ぽよぽよと眠そうな空気が飛んでる様で言われてもと思うが、もう一度言ったところで返事が変わることは無いだろう。
「でも兄上、もし本当に辛いようなら 」
「エミリオ」
口を開きかけたところで、ふと、ロディルが鋭い声を発してエミリオの口元に人差し指を当ててくる。見遣れば、先程とは打って変わった眼差しで、彼自身の背後を示す。
僕の後ろ、との意味を察して、エミリオは食事の手を止める事無く、そっと彼の背後を覗いた。
三人組の、男性だった。
「顔、覚えといて」
僕の方じゃ、見れないから。
こくりと頷き、脳裏に克明に焼き付ける。二十代後半程度の男が一人、三十代程が二人。全員ラフな服装をしているため、国籍までを伺うことは出来ない。
兄に倣って耳を澄ますと、とんでもない会話が聞こえてきた。
「 音楽祭まで、もう少しだよなぁ」
「で、結局最初誰?」
「皇子のさ、どれか。オヤジは最後でいんじゃねって昨日も話してたところ」
エミリオは弾かれたようにロディルを見た。
「これって……!」
同時に、彼らが立ち上がる。「しっ」と短く叱責され、男達の出て行く姿を見送るだけに終わってしまう。
完全にその姿が見えなくなってから、ロディルに視線を戻した。
「行きましたよ」
「顔、覚えたね?」
「はい」
さて、どうしたものか、とロディルが考え込む。
「今の話って、やっぱり…、そういうこと、ですよね?」
「だろうね」
「ジェイクルードさんに伝えた方が良いでしょうか」
「連絡はするよ? もちろん。ただ、…どうしようかな」
彼が言う「どうしようかな」というのは、今の三人組の処遇のことだろう。ジェイクに知らせて後は彼らに任せるか、ここである程度縛ってしまうか。
「服は、どんなだった?」
「普段着ですね。どこの国の者かまでは……」
「…そっか」
ご馳走様でしたと女店主に告げて、二階部分から繋がる宿部屋へと戻る。兄の後について部屋へ入り、ベッドの上に腰を下ろした。
「エミリオ、ペン取ってくれる?」
「はい」
手渡したペンをくるくると回しながら、それでもしばらく考えていたようだけれど。
「……クランクレイヴは、不可侵なんだよなぁ…」
この場合、相手から喧嘩を売られた訳でも、ましてや決定的なコトが起こった訳でもない。あくまで、それと思われる話を耳にしてしまっただけにとどまっている。
相手からの攻撃に対しての防衛および反撃ならば可能だが、今の時点では無理な話だ。
大まかに考えると、こちらから積極的に攻撃に出ることは出来ない、ということだ。「クランクレイヴ領は不可侵」 その代わり、最初の一手がこちらではならない。
やられてやり返すのは、可能。また、相手からの攻撃を予測して備え、また先手を取って攻勢に出るのも可能。
だが、今回のように自分達がどうにかされる訳でもない段階から、他の第三者に対する攻撃と思われるものに対してしゃしゃり出るのは、不可。
単純に暴漢の類ではなく、あの話からして、おそらく、確実に、背後に「どこかの国」がある。その中において、彼らは単なる実行犯。そんな相手を伸せば、下手に「どこかの国」をつつく事になりかねない。
「……多分、確実にそういう計画の類だと思うんだけどね」
「でも 、駄目なんですよね?」
「エルダ・ディアラ国家からの許可があれば別だけど。とりあえず今の時点ではそんなもん全然ないよね」
「……そうですよね」
「しゃーない、今の僕に出来ることは、これだけ」
部屋に備え付けのメモを一枚破り取り、その上にペンを走らせる。
すぐに終えたかと思うと、手紙の上に左手を翳す。やがて光が集まって、左手の先に小さな魔方陣が現れた。
「エミリオ、荷物の中に閻魔帳あるよね、僕の」
「えっと……ああ、はい」
差し出した本を受け取ったロディルは、ページを捲って、目的の箇所に行き着くと、
「これで、少しはどうにか出来るといいんだけど」
と、呟いた。
「 ナナカ、おはよう」
ぐったりするまで素振りを続けて疲れ果てたナナカの元へ、今日もジェイクがやって来た。
「うー、あー…」
「どうしたの?」
「……マジ、疲れた」
言いながらも、気恥ずかしさを隠すようにベッドの上でごろんと彼に背を向ける。
あ、ヤベ、終わってから風呂入ろうと思ってたのに。俺汗くせーかな、と心の中で一人ごちた。
背後でくすくすとジェイクが笑うのが分かる。
そんな彼を盗み見て、ふと、思い出す。
そう言えば、昨日の散歩中に 。昨日は何だかんだ色々あって伝えられなかったが、今ならいいかもしれない。身体を起こして、そちらを見遣った。
「なあ、ジェイク」
「なに?」
「……その、お前…、気ィ悪くするかもしんないんだけど、俺、昨日散歩の途中で変な話聞いて 」
その時、開いた扉から風が吹き込んだ。
「?」
思わずそちらを振り返れば、部屋の中に一羽の鳥がいる。光り輝く長い尾が綺麗で、思わず見惚れてしまった。
だが、覚えはない。
「何だ? この鳥……」
ベッドから降りて近付こうとすると、傍らでジェイクが口を開く。
「あれ? 君はロディルの……」
鳥はジェイクとナナカを見つめながら空中でホバリングしていたが、やがてジェイクの元へ飛ぶと、彼が差し出した片腕に止まる。そうして、己の足元を嘴で示した。
「え?」
ナナカもつられて見てみれば、そこには丸めたメモ用紙が括り付けられていた。
「ナナカ、外してくれる?」
「え? あ、ああ」
そっと紐をほどき、メモ用紙を取り外す。それをジェイクに手渡せば、鳥は一度鳴き声を上げて、再び窓から飛び去ってしまった。
「ご苦労さま」
空高く飛び行く鳥へ向けて声をかけ、さてとジェイクは椅子に腰を下ろす。ナナカもその隣に寄ってみた。そこで何かを思い出したのか、ジェイクはリアとシアも手招きする。
そうして、彼が開いたメモ用紙には、一言、
『なんか恨みでも買ってんの?』
と書かれていた。
何これと人事ながらに思うナナカの視線の先で、不意にメモ用紙に光が集まり、小さな赤い魔法陣を形成する。
「ほら、皆見てごらん」
「あ、なんか……」
そうして、ぽんっと紙面の上に二頭身の小人が現れた。藤色の長い髪と、小さな体をがぼっと覆う外套。
大分デフォルメされてはいるが、この顔には覚えがある。昨日見たばかりの、ジェイクの幼馴染だ。
そしてその小人は、メモ用紙の上に浮かんだまま、ジェイクを見上げて片手を上げた。
『やふ』
「こんにちは、小さいロディル」
ほんの十センチにも満たない小さな体。仕掛けにも驚いたが、それが喋ったことにも肝を抜かれる。
「うわぁー、ちっちゃい、可愛い」
ストレートに感想を言い表すシアの隣で、ポーカーフェイスには変わりなくも、リアの顔に、幼馴染みだからこそ分かる喜色が浮かんだ。こう見えて小さな生き物や可愛らしい動物が大好きな彼女のアンテナを大いに刺激したらしい。
「長い文章書くのが面倒くさいって時は大体こうして送ってくるんだ。書いてるヒマがあったら、さっさと知らせたい火急の用事とかね。これなら必要に合わせてこちらから訊くことも出来るし、便利だろ?」
そうしてジェイクは、小さな彼に向かって綺麗な笑みを向ける。
「いつものロディルもこれくらい可愛いと良いのにね」
ロディルはその言葉に何を言い返すこともなくじっとジェイクの顔を見上げていたが、やがて、全く表情は変わらないがその額にぴしりと怒りのマークが浮かんだ。
ごそごそと外套の中を探って豆粒サイズの本を取り出すと、ぱか、と開く。その瞬間本の間から弾丸のように飛び出した何かがジェイクの額をデコピンでもするかのごとく弾いた。
「うわっ!」
「あ痛タタ」
「大丈夫かよ、お前」
「さすがロディルなだけあって、小さくてもちゃんと反撃してくるのか」
僅かに赤くなった額をさすりながら、さてと本題に入る。
「確か、エミリオと遺跡の調査に行っている筈だよね? こうして手紙を送ってくるってことは、何かあった?」
『うん。有り体に言えば、暗殺計画なるものを耳にした』
あ、と思うナナカの隣で、ジェイクの唇がきゅっと引き結ばれる。
「それは…穏やかじゃないね」
『だから知らせたの。まず標的になるのはゼフェルド兄ちゃんかジェイクかセシルの誰か。おじさんは最後』
「その話、どこで聞いたの?」
『ベルフェリアの宿屋。三人組の男で、多分、実行犯』
言いながら、ロディルは先程本を取り出したあたりを探り、今度は小さな小さな紙片を手にする。見たところ三枚あるが、それも小人サイズなので、本と同じく正しく豆粒のようなのだけれど。
そうして、それをジェイクに向かって差し出した。
「これ? 何?」
ジェイクがそれを受け取ると、ロディルがぱちんと指を鳴らす。途端、三枚全てが手紙になっていたメモ用紙と同じ程の大きさになった。
そこには 一枚につき一人、似顔絵のようなものが描かれている。
『エミリオに描いてもらったの。大体そんな感じみたい』
「みたいって、ロディルは見てないの?」
『僕の後ろにいたから見てないよ。そんな話してるとこで振り向いたら話聞いてますって言ってるようなもんじゃん』
「成程ね…」
『服装からの国籍は判断不能。でも十中八九後ろに誰かかどっかの国かがあるよね。話を聞いた感じだと、実行は音楽祭の日。これは僕の想像だけど 多分、一番最初に狙われるのはジェイク』
「……どうして?」
『近付くなら観客側から。それには、観客側に唯一背中を向けてる指揮者が一番狙い目』
確かに、そうかもしれない 、とナナカも思う。
楽壇の裏側から近付けば、容易に見付かってしまうだろう。
「ロディルは、まだベルフェリアにいる?」
『今はいるけど、キューちゃんが帰ってきたら出発する。今日中にランドル草原を越えたいの』
キューちゃんと言うのは、先程手紙を運んできてくれた鳥のこと。あれも先日のジーニァと同じくロディルの「作品」の一つで、正式名はキュリア・カラドリウスと言うらしい。
『分かってると思うけど、クランクレイヴは不可侵。今の時点では、僕にもエミリオにもどうすることも出来ないんだ』
「分かってるよ。だから、こうしてせめて知らせてくれたんだよね? ありがとう」
『今、エミリオが関門に行って彼らがもう街を出ちゃったのか聞いてくれてるけど、…多分、もういないだろうな。ちゃんと身支度は済ませてたみたいだし、荷物持ってお店出てったらしいから』
「…そっか」
何やら考え込むジェイクに、慌ててナナカも口を開く。
「ほ、本当だと思う、俺も、聞いたその話」
「え?」
「いや、さっき話しかけてたこと、正にそれなんだけど…。昨日の散歩の途中で、似たような話聞いたんだ。…俺が声を聞いたのは、二人だったけど…姿見てないから、詳しい人数とかのその辺はなんとも言えない」
「 ……」
その言葉を受けて暫し考え込んでいたようだったが、ぐりぐりとロディルの頭を人差し指で撫で、席を立つ。
「俺一人で考えてもどうなる訳じゃ無さそうだ。 ナナカ、また来るね」
「え? あ、おう」
ナナカの頬をさらりと撫でると、目元に軽くキスを落とした。
小人の乗ったメモ用紙を手にしたまま、じゃあね、と手を振ってジェイクが出て行ってしまうと、固まるナナカの背後で双子の追撃が始まる。
「ナナ兄、今のなに」
「詳細な説明を求む。ちなみに拒否権はない」
「……黙秘は?」
「認められない。」
そうして、白状するまでの間、二人に散々攻められた訳であるが。