カミカゼディストーション 45 



    ……何やってんだ、お前…」

 テントの戸布を押し上げた体勢のままで、フレイは言った。
 視線の先には、毎度毎度移動中はどこにしまっているのだか分からない量の魔術書を積み上げたロディルの姿がある。ミトラとイデアがベッドで昼寝をする傍ら、彼は床に広げた魔術書を見比べながら何やら書き付けていた。
 フレイの後ろでエルストが小さくジャンプしながら、何の話かと懸命にテントの中を覗く。

「ん?」

 声をかけたことでこちらの存在に気が付いたのか、ロディルがこちらを向いた。その口には昼食で出したパンが咥えられている。確か先程の昼食時、彼は昼食の席に現れず、ミトラとイデアが二人で一緒にロディルの分の食事を持っていったはずだ。
 成程、手が離せなかったということか。

「ああごめん、気付かなかった。ずっといた?」
「いや、今来たばっか」

 もぐ、とパンを咀嚼しながら、ロディルは「入っていいよ」と仕草で示す。エルストと二人で魔術書を踏まないようにテントへ踏み入り、どこへ座ったものかと辺りを伺った。

「ごめん、行儀悪くて」
「いや、別に構やしねえけど」

 恐らくパンを口に咥えたままであることを言っているのだろうが、ここ七年間、お世辞にもお行儀の良い生活をしてきたとは言えないフレイにとって、今更その程度のことは気にならなかった。

「何やってんだよ、これ」

 手近にある魔術書を摘まんで見てみるも、悔しい事にさっぱり意味不明だった。とは言え、ロディルはこれを理解出来ているのだろうから、そう考えると矢張り自分は魔術師になれそうにはない。

「今度は何しようとしてんだ?」
「フレイの筋肉を全部吸い取る魔術の研究」

 言いながら、彼の視線は魔術書と手元のメモを行ったり来たり。もっとも、メモと言うには些か大きすぎる大判の紙だが。片手にペンを持ち、何やらざかざかと図形や文字を描いていく。
 それが本当に自分の筋肉を吸い取られる魔術の術式なのだとしたら、今すぐ破り捨てた方がいいのかもしれない。

「思ったんだけどさ。フレイの筋肉とガウェインの体と僕の魔術合わせたら最強の戦士が出来ると思わない?」
「お前馬鹿なの? 天才なの?」

 まるで「すごいこと思いついちゃった!」と言いたげな顔で真面目に言うものだから、思わずフレイも真顔で返してしまった。その隣では、未だにエルストがどこに座るべきかと悩んでいる。

「まあ、この間までは世界中のカップルだけを爆発させる魔術とか研究してたんだけどね。世界中のカップル限定っていう条件付けがなかなかうまくいかなくてさ。そうこうしてるうちにガウェインとそういう仲になったもんで、あ、じゃあもういいやってやめた」
「お前やっぱ馬鹿だろ」
「ていうか俺は筋骨隆々としたロディルとか見たくないな」

 山を崩さないように丁寧な仕草で魔術書を退け、ようやく空いたスペースに腰を降ろしながらエルストが眉を顰めた。

「えー、そうかな。いい考えだと思ったのに。あ、じゃあ違う人で試してみようかな? でも僕以外となると、ここんとこのスペルが他対象になる訳でしょ? とするとこっちが……」

 パンが最後だったのか、ぶつぶつと呟きながら空になったトレイを積み上げた魔術書の上へ避難させ、やがてこちらの存在を思い出したように向き直る。

「んで? どしたのさ? 何の用?」

 フレイとエルストは顔を見合わせる。

「いや、なんつーか、俺も魔術みたいなもん、使えねえかなと思って」

 ロディルがぱちぱちと瞬きをした。

「フレイ、魔術師になりたいの?」
「そんな大したもんじゃなくて、ごく簡単なもん一つ二つでいいんだよ。フェリジオだのファルダァルだの、これから向こうの抵抗も激しくなってくるだろうしさ。いざって時の保険……、みたいな感じで」

 ロディルは片手で己の足首を押さえつつ、頭を掻く。

「ん〜……、言い方悪いけど、こればっかりは才能っていうかセンスの世界だからなぁ……、適正ないと難しいかも」

 言いながら、彼はフレイとちょいちょいと手招いた。それに誘われるように身を乗り出せば、「ちょっと動かないでね」と額を合わせてくる。

「おい?」
「黙って」

 ロディルが目を閉じる。間近でその顔を見ながら、黙っていればやり過ぎなくらい美形なのになぁと残念に思った。
 彼の額が触れた場所に僅かに電流のようなものを感じる。ああ、その適正とやらを測っているのかとようやく合点が行った。やがて、彼が身を離す。

「残念な結果ですが」
「適正ナシってんだろ。言わなくても分かるわ」
「全く無いわけではないのかもしれないけど、今ここでぱぱっと見た感じじゃ、魔術が使える程の流れは感じられないってだけ。魔術協会の長老の頭固いじーさん連中にじっくり見て貰えば詳しく分かるかもよ」
「頭固いって、どんなよ?」
「僕はよく怒られる」

 しれっとした顔で言われてしまって、思わず妙に納得する。だが同時に、可愛がられているのか本気で怒られているのかどちらなのか気になりつつも、逆にこいつを相手にするじーさん連中が可哀相だと思ってしまった。

「お前じーさん連中に怒られて親父さんにも怒られんのかよ」
「そうですが何か文句でも?」
「よく凹まねぇな」
「もう慣れましたんで。右から左に聞き流すしね!」

 グッと親指を立てて得意げな顔をするロディルがとても輝いて見えるのは気のせいか。

「つまり反省してねえってことか。反省しろ馬鹿とナントカは紙一重な魔術師」
「反省はちゃんとしてるよ? ああ、次からはもうちょいうまくやろう……、とか」

 肩を落とし、しんみりとした表情で言うものだから、ああ、反省はしているのかと思った途端、「とか」の部分で声のトーンもろとも元に戻ったことからも、全くもって反省はしていないようだ。

「まあまあ話を元に戻すけどさ。魔術って、どういうものでもいいの?」
「逃げる時に一瞬隙作るぐらいのもんとかでいいんだ。ズブの素人でも出来そうなのってねえかな? 何なら、お前の魔力分けて頂けませんか? 底無し魔力の天才魔術師様」
「僕はダントゥーンじゃないのでそんなこと出来ません」

 ロディルは「うーん」と唸りながら、暫く考えていたようだったが。

「まあ、考えてみるよ。ようは手を増やしたいってことだよね?」
「ああ。つか、そもそもさ。魔力って、どんな感じ? 感覚的に、俺にも分かんの?」
「そっか。馴染みがないとそうそう分かんないよね。    待って、今、フレイ達にも分かるようにしてあげる」

 そう言うものの、ロディルは全く動く様子を見せない。先程の言葉は何だったのかと思い始めた頃、不意にフレイは己の肌が総毛立つような感覚に襲われた。
 外にいる訳でもない。風が吹いている訳でも、気温が下がった訳でも無い。何の前触れもなく、唐突に。そのままざわざわと体が騒ぎ、皮膚に鳥肌が立つ。
 隣でエルストが首を傾げながら己の両腕を擦っていた。

「なんとなく、分かる?」

 向かいでロディルが首を傾げる。
 ああ成程、と思った。確かに目に見えるものではない。彼らのように本職の魔術師であれば本来目にも見えるのかもしれないが、そうなるとある意味、感じる事しか出来ない自分は矢張り適性が無いのだと思った。

「いつもは自分で制御してるんだけどね。こうしてタガ外してダダ洩れ状態にすると、少しは感じるでしょ」
「あー……なるほど…」

 ちりちりと肌に突き刺さるような。痛みと言うほど大きなものでもなく、けれど無視するにははっきりとしている。
 やがて、それまでのざわつきが嘘のように、ストンとその感覚が消えてしまった。

「あれ?」
「慣れない人があんま強い魔力浴びてると、酔っちゃうんだよ。だからもうひっこめました」
「へぇ……」
「まあ、例えるならこれが精霊さん達のご飯になる訳でね。その代わりに力を貸してくれるってわけ。    あ、多分ゲイルはそういう精霊さんとは違うだろうけど」

 こうして生活していると、なんとなくでも彼が精霊としてイレギュラーであることは分かる。精霊と一括りにしても、恐らくその中で更に細分化されるのだろう。

「何はともあれ、フレイの件にしては考えとくよ。フレイの筋肉吸い取ったらね」
「ふざけんな」

 本当にそんなことになってはたまらないと、やめるよう重々念を押しておく。

    で、エルストの用件もフレイと一緒?」
「えっ? あ、えっと、いや……」

 エルストは居住まいを正し、言い難そうに口ごもる。そうして何度か視線を彷徨わせた後、ちらりとロディルを見た。

「前に、さ。ロディル達がフェンディン牢獄に行ってる時、死んだ人が動いたとか言うことあったって言ったじゃん」
「ああ、うん。フェリジオの仕業だったやつだよね。僕は直接現場と言うか、その場を見てはいないけど……考えるだけで怒りが湧き上がってくる。本当、何考えてんだろあの子……」

 フレイにとっては、エルストがその話題を出してきたことが意外であった。ロディルに聞きたいことがある、と言うから一緒に連れて来たが、予想外だ。

「そういうことが出来るなら、……人を、生き返らせる魔術とか、って、……ないかな」

 エルストが何故そんな話をしたのかすぐに分かって、フレイは思わずロディルに視線を向けた。彼の顔から先程までの表情は失せ、再び俯いてしまったエルストをじっと見つめている。
 エルストはもう一度ロディルの顔を伺うと、慌てて手を振った。

「あ、いや、別にそんな本気でとかじゃなくて、ちょっと思っただけだから」
    あのね、エルスト」

 静かな声だった。何言ってんの、と一笑に伏すでもなく、馬鹿にするでもなく。

「もしかしたら、不可能ではないかもしれない。遠い未来、そういう魔術が確立されて、いずれ実質的に人が死なない世界が来るのかもしれない。……でも、僕はそうなったとしてもそれに手を出したくは無いな」
「……」

 他人事ながら、ロディルらしい答えだと思った。

「妹さんと、お祖父さんのことだよね?」
「……」

 エルストは黙って頷く。

「怪我は治してあげられる。勿論限界はあるけど、それでも多分エルストが思っているよりは幅が広い。……でも、一度旅立ってしまった魂を呼び戻すことは、出来ない。……酷な事だと思うけど、受け止めて。僕に言えるのは、それだけ」
「……分かってる。分かってるんだよ。…分かってるのに……」

 エルストはグッと歯を噛むと、テントから走り去ってしまう。
 その背中を見詰める事しか出来ないまま、フレイはちらとロディルを伺った。ロディルは困ったような顔で、小さく息を吐いた。

「……出来れば、言いたくなかったな」

 ロディルの答えなんて、分かり切っていたはず。それを敢えて彼の口から言わせたエルストは卑怯だと思う。けれど、どうしても認めたくない、分かりたくないエルストの気持ちも分かる。それを敢えて受け止めろと一言で突き放したロディルも冷ややかだと思う。
 どっちつかずの気持ちから、フレイは何も言えずにいた。

「でも、エルストの気持ちも分かるんだよ」
「……あ?」
「認めたくないよね。分かってはいるんだけど、どうしても可能性のあるものに縋ってしまう。もしかしたらって思ったら、頼らずにはいられない。……その結果、無理だって分かって自分が更に傷付くのも分かっているのにね」
    ……そうだな」






 宿営地の中をとぼとぼと歩きながら、エルストは激しい自己嫌悪に陥っていた。
 きっと、フレイとロディルに嫌な思いをさせただろう。
 エリィと祖父のことなど、今更どれだけ願ったとしても無理だと分かり切っていたはずだ。なのに、あんなことを尋ねてしまうなんてどうかしている。
 ロディルはごく当たり前のことを言ってくれただけ。彼に対して怒りや不満といった感情を抱くのはお門違いだ。……そんなことは、分かっているのに。
 はあ、と盛大に溜め息を吐く。

「よー、エルスト」

 振り向く仕草も緩慢に、どんよりとした感じにしかならなかった。
 表情が余りに冴えなかったためか、アルディーンは手を上げた体勢のまま「お?」と呟いた。

「どうした?」
「……いえ、別に…」

 何でもないと言ったところで、当然の如くそれで騙されてくれるような相手では無かった。大きな手でエルストの頭をわしわし撫でる。

「どうしたよ、言ってみ?」
「……、…」

 これは自分のエゴだ。それが分かっているから、口にするのも憚られる。
 それでも、誰かに聞いてほしいという思いもあって。

    ……俺は、この戦争が始まる前、妹と祖父を亡くしました」

 ぽつり、とエルストは呟いた。

「それが、きっかけで……今、本当は陛下が振るうはずの聖剣を借りてます」
「ああ」

 知ってる、とアルディーンが頷く。

「本当は……この聖剣は凄いものだって分かって、俺も最近、ちょっとずつ兵士とやりあえるようになってきて……、本当は皆強いから、俺の助けなんかいらないって分かってるけど、それでも俺も皆の事、少しでも守れるようになったらいいなって、思うようになってきて」

 アルディーンは暫し、何も言わずに聞いてくれていた。
 それが心地よくて、エルストは甘えてしまう。

「でも、そう思えば思う程、エリィとじっちゃんを守れなかったっていう思いがどんどん大きくなってきて。あの時ああしてたら、こうしてたら、あの時聖剣を持ってたら…って、後悔ばっかり……」

 そんなたらればは意味の無い事だと分かっているのに。
 エルストは元々、兵士でも何でも無かった。のどかな村に生まれた、何の力も持たないただの少年であった。だからあの時村が襲われたからと言って、エルストを責める者などいない。聖剣のことも、考えるだけ無駄だ。
     だというのに。

「挙句の果てには、屍を操る魔術があるなら、人を生き返らせる魔術とかないかってロディルに聞いたりして……」
「あいつは何だって?」
「将来そういう術が確立されても、……自分はやりたくないって」
「あいつらしいなぁ〜」

 まださほど付き合いの長く無いアルディーンにも分かるのだろう、声を上げて笑い飛ばしながら空を仰ぐ。

「なんか……自分が情けなくて」

 受け止めたつもりでいた。
 エリィと祖父が戻らないことを、しっかりと理解したつもりでいた。

「そういうのって、すぐ消化しねえと駄目か?」
「え?」
「自分の近しい人が亡くなってよ。すぐ切り替えられる人間って、そうそういねえと思うんだ。そりゃ、こうして軍属して戦場進んで……ってやってると、万一の時の覚悟もしてるだろうししなきゃなんねぇもんだけど、お前さんはそうじゃなかったろ。引き摺るのも当然だ」

 その時の自分は、今にも泣き出しそうな顔をしていたのだと思う。それを隠すようにアルディーンは大きな手を乗せてきて、もう一度、今度はゆっくりと頭を撫でてくれた。
 慰めてくれるものだと分かっているのに、逆に涙が出てしまった。

「そういやエルスト、お前さん、御両親は?」
「父さんと母さんは、エリィが生まれてからすぐ、肥料買付の途中で落盤事故に遭って亡くなりました」
「……そうか」
「でも、その時はばあちゃんも元気だったし、エリィの世話でてんやわんやだったから、寂しさなんてあんまり感じなかった。村のおばちゃん達も気にかけてくれて……」

 その彼女達すらも、今では殆どいなくなってしまった。
 あの時、帝国兵が、攻めてさえ来なければ。
 言葉を失ってしまったエルストに、アルディーンはふと、言葉を落とした。

「なあ、エルスト。俺には、元々せがれと娘が合わせて五人、いたんだよ」
「……」

 知っている。その中でたった一人、残ったのがフレイだと言う事も。

「父親なのに、守ってやれなかった。俺が不甲斐ないせいで、…国まで取られちまった。……未だに時々、そう思う。夢に見ることだってある」
「……陛下みたいな方でも、ですか」
「なんだそりゃ、普段がお気楽に見えるって?」

 軽く笑い飛ばされながらも、エルストは必死に「違います、そういう意味じゃなくって」と弁解して見せた。

「あんまり、過去は振り返らないって言うか……、そう言うのに縛られない感じがしたんで」
「まあ、どっちかといやそうだな。けど俺だって一応人の親なわけよ。……思い出さねえ訳ねえって。今更あの時こうしてればーとか思っても、もうどうしようもねえのにな」
「……」
    まあ、何が言いたいかっていうとな。お前もロディルも他の奴も、俺にとってはちょうど息子ってぐらいのトシなんだよな。つまるところ、こんな状況下だけど俺には息子みたいなものなわけよ」
「はあ」
「忘れろってことじゃねえ。さっさと折り合いつけろってことでもねえ。ただ、いつまでも過去を偲んで寂しがってると、お父さんはそんな息子の姿を見るのが寂しい……ってことよ」

 エルストは思わず二、三度瞬きをしてしまった。
 この状況下において、アルディーンが息子と言うのは、先の話から察するにエルストのことなのだろう。

「泣きたきゃ泣け、気が済むまで付き合ってやる。そうして気が済んだら    、皆に笑った顔見せてやれ」

 な、と優しく言われて、涙が溢れ出す。
 そうしてエルストは、黙って頷いた。






 テントの中、地図を広げたままエリオスは腕を組んだ。
 ふむ、と考え込んだ彼が、地図を見ての事では無いとライゼンには分かっている。

「旦那様。どうかなされたので?」
「ん?     ああ、いや……」

 彼にしては煮え切らない返事だと思っていると、不意にサイファーがテントへ入って来た。片手で己の首元を強く揉みつつ、「あー、首いってぇ〜」とぼやいている。

「ったくあのお子様達、ホント加減てもんを知らないったら。三十過ぎると疲れも取れにくくなるってのにねぇ〜」

 どうやら、またイデアとミトラにいいように使われたようだ。

「兄貴〜、ちょっといい?」
「どうした?」
「ここ来てすぐ洩らした、ヴェルゼ兄貴のこと。あーそういや話してなかったな〜と思ってさ」

 そう言えば、そうだった。ライゼンはサイファーに頭を下げ、一歩下がる。
 エリオスの長弟ヴェルゼは、現在特定の軍部には所属しておらず、給金でその時々の契約をするフリーの傭兵として各地を渡り歩いている。一方サイファーは言うなればロディルによく似たタイプで、研究に夢中になると寝食すら後回しにしてしまうタチである。ヴェルゼはそんなサイファーを気にかけており、よく方々からその土地で有名な食べ物だの、評判の枕だの送っているようだ。

「この間、兄貴から手紙が来てさ。確か、先月あたりだったかな? そうそう、そのくらい。で、その時ヘルヴェル大陸にいるって書いてあったわけよ」

 ヘルヴェル大陸と言う事は、隣か。ライゼンが思い当たるのと、成程とエリオスが呟くのがほぼ同時だった。
 大陸最南端の港から出る船がこちらの大陸へと着岸する場合、船が着くのは    

「ファルガー海岸か」
「あたり」

 上記の場合、船はファルガー海岸の北方にある港に着く。最も、彼がそのタイミングでこちらの大陸行きの船に乗れば、だが。しかしその件に関してはすぐにサイファーが不安を払拭してくれた。

「近いうちに一度家に戻るって言うんで、それなら俺もってクランクレイヴに帰ったのね。そしたら家には兄貴もチビ達もいないし、さてどうしたもんかって一服してたらゼフェルドが来てさぁ」
「いないし、ってお前、前もってこういうことになったと手紙を送ったろう」

 各地を放浪しているヴェルゼと違って、サイファーの居場所ははっきりしている。だからこそ、開戦前にエリオスはサイファーへと手紙を送っていた筈だが。文をしたためていたところをライゼンも目にしている。
 ちなみに、チビ達と言うのはロディル達のことだ。三兄弟を纏めて称する場合、サイファーは決まって彼らを「チビ達」と呼ぶ。赤ん坊の頃から知る甥っ子姪っ子だから仕方のない事ではあるが。

「ああ、そんで装甲車の中でゼフェルドに話を聞いてて、そういや兄貴からなんか手紙来てたなーって思い出したんだわ。研究がさ、丁度イイ感じの時だったから後回しにしてたらすっかり忘れちまったの」
「お前は相変わらず」
「はいはい聞こえない聞こえない。どうせ言われそうな事分かり切ってるいつものお説教はカット。    んでまあ、何が言いたいかって言うとね」
「分かっている」

 ヴェルゼからの書面に「近いうちに家に戻る」と書いてあったのなら、彼は間違い無くこちらへ向かう船に乗る筈だ。サイファーがここへ連れて来られた日より考えても、それは然程遠いことではない。

「タイミングが良ければ、ファルガー海岸で合流出来るかも。ロディルのキューちゃんに手紙でも運んでもらったらってこと。兄貴の顔なら、キューちゃん覚えてるでしょ。大まかな場所だけ伝えれば分かってくれるよ」
「確かに、戦力として考えるならヴェルゼもうってつけだな。……そうしよう」
「あとさぁ、もうひとつ、気になった事聞いていい?」
「何だ?」

 サイファーは一度テントの外へ視線を投げかけ、

「あそこ、今はアルディーンさんじゃなくて別の人…エルストだっけ、その子が聖剣握ってんでしょ? 戴冠式、どうすんだろ?」

 と首を傾げた。






 ランバートを探している途中で、エミリオに会った。
 彼は日当たりの良い場所で、ミフェリエと歓談している。日当たりの良い場所を選んだのは、一重にミフェリエの体調を気遣ってなのかもしれない。元々二人とも穏やかな性格ゆえに仲が良く、数年間の空白期間はあるにしても、あまりその絆は衰えてはいないようだった。

「こんにちは、ジェイクルードさん。どなたかお探しですか?」

 あちこち見渡しながら歩いていたから分かっていたのだろう。そう言って、エミリオは首を傾げた。

「うん、ランバートを。見ていない?」
「ランバートさんでしたら、この時間は大抵木陰で武器の手入れをしていますよ。あの樹木が並んだあたり、探してみてはいかがです?」

 流石だなとジェイクは思った。エミリオにこうして聞いて外れることは余りない。始めの頃はエスパーかとも思ったが、各個人の行動から大体のことを把握しているだけなのだろう。

「ありがとう、探してみるよ」

 途中でミフェリエと目が合うと、彼はニコッと笑みを浮かべた。
 ギルディスの事を考えるとまだ胸が痛むが、彼は現状、出来る限りその事を考えないようにしているようだった。
 はてさてとエミリオに教えて貰ったあたりを探せば    、いた。これまた彼の言う通り、クロスで丁寧に己の槍を拭いている。

「ランバート、隣いい?」
「ジェイク殿ですか。どうぞ」

 それではと彼の隣に腰を降ろし、暫く槍の手入れをするところを見ていた。

「ランバート、お父さんの……ことだけど」
「……はい、何でしょう」

 微かに彼の声が揺らいだ。
 矢張り、と思う。
 覚悟はしている    、とは言っていたが。実際、目の前にして決意が揺るがぬ方がおかしい。これから先、戦場で再びファルダァルに会った時。
 ランバートを信じていない訳ではない。
 ただ、無理もないことだ、と言いたかった。

「俺とロディルはね、昔、同じ学校に通っていたんだよ」
「……は?」

 父のこと、と前置きをしておきながら、唐突に異なる話題を出したことに、ランバートは首を傾げた。

「スヴァンダリアの国境近くにあるところ。知ってる?」
「ああ、ええ……、名前と建物くらいは。私はそちらへは行きませんでしたが、母の実家の近くでしたから…」
「あれ、そうなんだ。そっちには行かなかったの?」
「ええ。幼い頃から騎士になることが目標でしたので、迷わずダンディリエ皇家直轄の騎士養成課程へ進む事を希望したんです」

 そんなに小さな頃から騎士を志していたとは、何ともランバートらしい。

「あの……、それで?」
「ああ、そうだったね。ごめん。    それで、まあ、学校に行ってた時、仲の良い友達がいたんだ。俺と、ロディルと、あと三人。一人は貴族のお坊ちゃんで、二人は平民出自の普通の子だった」

 当時のことを思い出すように、ジェイクはそっと目を閉じる。
 皇子だからと遠巻きにされることも少なく無く、それはロディルも同じようだったが、そんな自分達にその二人は気さくに話しかけてくれた。
 リディオスと、ディナシー。それに代々学者を輩出してきたという貴族家庭に育ったエンディール。
 あの頃は本当に毎日が楽しかった。

「卒業する時、いつもみたいに『じゃあまたね』って別れた。ロディルとも、また皆で集まりたいねってよく話をしてる」
「いいですね。その中でしか育まれない絆と言うのも、ありますから」
「そうだね。    でも、皆で集まるのは難しくなってしまった」
「……どうしてです?」

 ジェイクの瞼裏に、リディオスとディナシーの姿が浮かんだ。
 取り立てて裕福では無い彼らは、数多くいる他の平民出自の生徒と同じように、国からの援助を得て修学していた。そんな生徒達に卒業後、半義務付けられた道。

「二人は    、ダンディリエの兵になってしまったから」
「あ……」

 そこで、ジェイクの言いたい事が彼に伝わったようだった。

「戦が始まる前に連絡した時は、二人とも元気そうだった。……もっとも、やり取りしていたのは手紙であって、声を聞いたわけではないけど。こんなことになってからは、なんだか気まずくて連絡していないんだ。俺は前線向きのスタイルじゃないから今までの戦場全てをフレイやランバートと同じ視線で見てはいないけど、それでもまだ二人は無事だと思ってる」

 しかし、それはつまり、同時にこれ以降、戦場で彼らに出くわす可能性が大きいということ。
 どこで出てくるのか    、それは分からない。

「もし、二人に出会った時、俺は迷わず銃を向ける事が出来るか? って考えるとね。……やらなくちゃいけないのは分かってるけど、迷うんだよ」
「……」
「ランバートは昨日、お父さんに槍を向けることを覚悟してる、って言ったよね。……でも、実際その命をどうこうってところまで追い詰めると、きっと迷いが出てしまうと思う。……そうなっても無理は無い。なって、当たり前だと思うんだ」

 ランバートはジェイクから視線を外し、俯いてしまう。
 迷いを振り切るように頭を振っても、その表情は優れなかった。

「思い出があればある分だけ、……迷いも大きくなる。難しいね」
「……そうですね」
「でも、これはランバートの騎士道を侮辱しかねないから、これっきり。もう言わない」

 ランバートは暫く苦悩するように唇を引き結んでいたが、やがて顔を上げて、何とも言えない笑みを浮かべた。

「……はい。ありがとうございます」






 そして、その日。
     ダンディリエ王城から、ジェノスの姿が消えた。















−続く−

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