夢浮橋 【23】 



 目的のものを手に入れて夕方に差し掛かり、そろそろマンションへ帰ることにした。
 夕食に吉木も誘えば、ありがたく、と受け入れてくれる。

「マキを落とした料理の腕前とくと見させてもらうよ」

 四人で電車を乗り継いで、マンションのある駅へ降り立った。そうして歩いている途中で、壬がふと後ろを振り返ったかと思うと少しだけ腰を落として「陸」と囁いてくる。

「どうした?」
「ずっと気になってたんだ。……今日一日、つけられてる」

 その言葉で、マスコミの類でないことはすぐに察しがついた。
 さて、どうしたものか。
 取り合えず前を歩く二人を遠ざけねばと、状況を理解している槙島を選ぶ。

「槙島さん」
「ん、どうしたの?」
「ちょっと、買い忘れたものがあって。壬と二人で行ってきますんで、先にマンション行っててくれませんか。これ、鍵です。オートロックの方は持ってますよね?」

 壬と二人で    、というところが引っかかって、やがて納得してくれたようだ。

「うん、分かった。お茶飲んでていい?」
「ええ、なんでもどうぞ」
「ありがとう、お言葉に甘えちゃうね。荷物、持ってってあげるからよこしな」

 楽譜の入った袋を彼に預けて、はてさてこの近くで人の少ない所は、と近辺を思い出しながら歩く。

「相手分かるか? ……分かんねえか」
「ううん、今日なら分かる。    今、物凄く気に食わない霊気だから」
「気に食わない?」
「これ、ね」

 壬が指差したのは、マフラー。その、耳元から下る首筋のあたり。

「……あー……幽峪……」

 なるほど理解した。
 マンションの裏手からさらに歩いて、先日真たちと彼を待ち受けたマンションの建設予定地に向かう。まだついてくるかと問えば、壬は頷いた。聞けば、昼頃槙島とマンションを出てからほぼずっと、行く先々で彼の霊気を感じたという。

「もしかしたら、槙島さんが知ってることも気付いてるかも」
「面倒なことになるなぁ……事情だけは話したけど、巻き込むのはイヤだってのに」

 陸は昨日の飲み会で既に槙島が幽峪を威嚇、牽制したことを知らない。
 その一方でああ、でもと思った。

「せっかくだしいい機会だから試していい?」
「え? 何を……    ああ、うん。いいよ」
「思い立ったが吉日っていうだろ。つまりこれはチャンスだ」

 考え方を変えよう、と建設予告の看板に目を向けた時、雷が落ちた。
 雨も降っていないのに、雷。やはり彼で間違いなさそうだ。

「こんにちは、センパイ♪ あー、それとももうこんばんは、ですかね?」

 その看板の上に身軽に降り立ったのは、思った通りの姿。見た瞬間に、隣の壬が不愉快そうに眉をピクリと震わせた。なるべく冷静に、と唇を引き結んでいるようだがその機嫌が絶賛降下中であるのはよく分かる。

「お前今日一日こいつのことつけてたんだってな。仕事じゃねえの」
「今日はオフです。その言い方、つれないなぁ。昨日はあんなに素直にキスマーク、つけさせてくれたっていうのに」
「の野郎、オメーのせいでどんだけ揉めたと    ぅわっ!?」

 陸の言葉を待たずして、地面から飛び出した鎖に拘束される。見れば壬が神霊正装に着替えていた。普段であれば何かしら予告をくれるが、今回は突然であるところからして、相当に怒っているらしい。
 だが、一方でまだ壬の神威を測りかねているのか幽峪はこの光景を見て首を傾げている。

(えぇ……七那岐なんて一発で見破ったぞ……)

 やはり彼が優秀なのか、それとも幽峪がアレなのか。もっとも、見破ったとしても対処できるかどうかはまた別の問題ではあるが。
 とにもかくにも、幽峪は最初くらいはこちらの出方を窺うつもりのようだ。

「陸。いつやる? もういいよ。頭は冷えた」
「いや、とてもそうは見えねえけど……まぁ、いっか」

 スマートフォンを取り出してアルバムから画像を呼ぶ。だが、そこまで来てふと、とても今更ながらに気付いてしまった。

(そもそもどうやって変えればいいんだこれ!?)

 変われ変われと念じるだけで大丈夫なのか、いや、壬の神威は言霊であり、陸に振られた役割は「言葉」だ。よしんば変われというだけで良いにしても、言わねば意味がないのではないか。無論イメージがなくてはすべて無意味。
 ということは、イメージしながら何かしら。

    はて? 何を見せてくれるんです?」

 乗るな、挑発だと陸は己を落ち着ける。
 そんな陸の様子を見た壬が、静かに振り返った。

「陸、俺も少し考えてみた。    今から、俺の言うように復唱してね」
「え? ……分かった」

 視線はひたすらスマートフォンの画面に、そして聴覚だけは壬から外さない。彼の、吐息一つ聞き漏らすまいと出来る限りの意識をそちらに向ける。

    進化する」

 右手にした剣を目の高さまで持ち上げて、壬が口を開いた。

「其は変化にあらず、進化である。光炎万丈、獅子神壬の名のもとに、神より賜りし神具を押し上げる」

 こんなに、心地の良いものだったか。
 彼の声は。
 まるでこちらにおいで、と言われているような感覚さえ覚えながら、陸は壬の言うとおりに繰り返す。

「力はあれを裏切らず、あれは力を欺かぬ」

 ああ、そうか。
 本来は「俺」の言葉だから壬は自分を「あれ」と言ったのか。

「進化する。進化する。今、この時、進化    せよ」

 そうして壬は視線を幽峪から外さぬまま、右手を横に。
 ほどなく、手にした剣の切っ先から、炎に包まれる。当然柄を握ったままの壬の手まで炎に食われるも、彼の表情はちらとも変わらない。
 成功したのか否か、うるさいくらいの心臓の音を聞きながら見守る陸の視線の先で、炎がチリチリと伸びていく。やがてそれは壬の背丈を追い越して。
 風を切る布の音が聞こえた時に、全身に鳥肌が立つのを感じた。
 炎が少しずつ消え、壬が手にしていた軍旗を見て誰よりも先に声を上げたのは幽峪だった。

「はァ!? なんだよそれ!?」

 旗が風に靡いて、ああやっぱり、壬の神霊正装によく似合う、と思った。

    うん。見せてもらった画像の通り。凄いな、陸のおかげだ」
「でもいきなり形状変わって対応できるか?」
「武器になりそうなものは一通り兄上に叩き込まれたから大丈夫だよ。それこそそのあたりに落ちてる木材でだって、一時凌ぎには出来るくらいにね。だから、こんな立派なものだったら、むしろ余裕なくらい」

 左手の剣を収めて軍旗を振るう姿もなんとも様になる。

「まだ分からない? じゃあ、一つだけヒントをあげる」

 幽峪に向けて、にっこりと壬は笑みを浮かべた。

「俺の神威はね。陸がいないと何も出来ないけど、陸がいれば何でも出来るよ。今見たみたいに」
「今見た? いやいや神具を変えるなんて神威、聞いたことねえぞ……? ッ!」

 不意に繰り出された壬の一撃を寸でのところで避けて、幽峪は地面に飛ぶ。

「あ、いいなこれ。長さ的にも凄く使いやすい」
「っぶねーな! 串刺しになるとこだったろうが!」
「え? そのつもりだったよ?」

 何か問題でも? ときょとんとする壬の表情。だがその中に未だ怒りが宿っているのを見逃さない。
 その怒りについては幽峪にも伝わったようだ。そのうえで話しても無駄だ、と悟ったのだろう。神威について考えるのはもうこの際後回しにして、今はとにかくこの場を何とかするのが先決だと。

「ち、藪をつついて蛇を出した、か。てか蛇どころかヤマタノオロチ級だろ。やりすぎたわ、獅子神を甘く見過ぎた」

 そんなことを呟きながら、なんとか壬の攻撃を避け、一瞬の隙をついて拳を振り上げる。

    天網恢恢、お知らせします。疾くや駆くるや葦の原、赤雷聞こえし忌む去ぬと」

 この間見た、一際大きな、長く続く雷がくると陸はタイミングを狙った。
 まだ、まだだ。もう少し、あと一秒、二秒。

雷鳴轟く畏怖の洗礼イヴァン!」
「壬踏ん張れ!     『遮断』! 『雷鳴はすべて無効化、かつ獅子神壬の周りに蓄積する』!」

 まるで視界が真っ白になるほどの、轟雷。目の前で見ている壬はさらに如何ほどのものかと思う。壬はまるで避雷針のように、手にした軍旗ですべての雷を受けている。壬に負担が無いと分かっているとは言え、その身が大丈夫なのかと不安になってくほどだった。

「『蓄積』、『蓄積」! 『すべて蓄積する』!」

 目の前が揺れた。全く考慮していなかったが、どうにも武器の変革で体力を使いすぎたようだった。駄目だ、こんなところで倒れるわけにはいかない。自分が倒れれば壬も負けてしまうという気概で何とか耐える。
 やがて雷が弱まり、幽峪の顔が見えた、と思ったその瞬間が好機だった。

「壬そのまま! 『反転』、『同調、連鎖』、『蓄積した雷をすべて開放する』    『射出』!」

 その速さはまるで龍のように、轟音は龍の咆哮のように。
 軍旗の先端から伸びた電撃が一直線に幽峪へと襲い掛かって、隣の廃ビルまで貫通した。

「が、は……ッ」

 衝撃のままに吹っ飛んでしばらく動かなくなる。

「……え、もしかして」
「多分、それはないと思うよ。真もそうだけど、彼には雷は殆ど効かない。多分二割程度だろうね。ただ衝撃はそのままだから、多分脳が揺れてる」
「あー……いわゆるピヨり……」
「第一、効く相手なら確実に負傷するくらいの技だったんだからそのまま返されても文句は言えないよ。ただでさえ『黒』だしね。    どうする? 放っといて帰る?」

 いや、その前にやることがあると、陸は首輪をつついた。

「え? でもそれだと……」
「俺は次こいつに会ったら一発殴るって決めてたの」

 神霊正装を解除すれば、有事の際の対応が遅れることを懸念した壬だったが、陸の雰囲気に笑って「了解」と言い、一呼吸ののちに神霊正装を解除する。もっとも、気絶したことで幽峪の方がすでに自動的に神霊正装解除の状態になっていた。
 重量感のある音を立てて首輪が地面に落ち、やがてしゅるしゅると光と同化して見えなくなる。
 伸びたままの幽峪の元まで歩いてしゃがみ込むと、その胸倉を掴んでべしべしと頬を叩いた。

「おいコラ、起きろ幽峪」

 べしべし、べしべしと何度か頬を往復させてやっと幽峪の意識が戻る。

「う、ぅ……んん!? うげ!?」
「おはよう」

 顔の上半分に影を落としつつ、はっきりと一文字一文字区切るように言えば、事態を察したのか幽峪はもういつものように目を逸らす。

「あー……センパイ……おざっす…」
「おざっすじゃねえんだよ。なんで俺がこんなテンションなのか分かるな? 分かるな?」
「昨日の俺のお茶目で喧嘩でもしちゃった感じですかね?」

 キャハッ☆とウインクをしつつまるで某洋菓子店のキャラクターのようにてへぺろ顔になった幽峪の腹に拳を入れた。

「ぐふッ」
「言いたいことはそれだけか?」
「ちょ、待ってください……マジで今俺目の前ガンガン揺れてるんで……腹までガード出来ないっす…」

 陸はすぐ後ろまでやって来た壬をちらと振り返る。言いたいことを察してくれたのか、

「陸がいいなら、いいよ。ただし今回限り。三度目は、ない」

 とようやく警戒を解く。
 どうやら本当に、完全にいつもの壬に戻ってくれた。

「だとよ幽峪。同じドラマに出てるよしみで今回までは見逃してやるよ。オメーがなんで二度も襲ってきたのかは分かんねえけどこれに懲りたらもうちょっかいかけてくんな。次はマジでのめす。ついでに俺の今回のこともまぁ、見逃してやる。寛大さに震えろ」
「てか、マジでなんなんですその神威? 動いてるのはそっちなのに、なんでセンパイが…………」

 自分で言って、はて、と。

「…………あぁ〜!! そういうことかぁ〜!! そりゃ勝てねえわぁ……」

 そうして幽峪はまた地面に転がった。

「うっわなんだよソレ…チートもいいとこじゃねえか。『言霊』、初めて見たわ」

 やっと理解したらしい。
 そしてしばらくぶつぶつと呟いた後、バネのように体を起こして距離を取る。お、見事なバク転、さすがはアイドルと思いながらその動作を見送った。

「ま、見逃してもらえるそうなんで、ありがたく撤退します。じゃ、センパイまた明日」
「遅刻すんなよ」
「はいはーい」

 ひらひらと手を振って、先ほどのダメージなど無かったかのようにあっという間に廃ビルの向こうへ消えてしまう。よく分かんねえなぁあいつ、と思いながらも騒がしきが去って、一瞬にして静寂が訪れた。
 と、陸の体力も限界で膝を着く。

「陸!?」
「つかれた」

 幽峪の反応や七那岐の言葉を思い出しても、彼らの武器の変容は通常、無いことだと分かる。それをやり遂げたのだから何かしら副作用のようなものがあって然るべきだとは思っていたが、こうも見事に体力を持って行かれるとは。

「立てねえ、……あーもう…タクシー呼ぶか……」

 とてもマンションまで歩けそうにない。その後夕食まで作らなければいけないのに。

「じゃあ、はい」

 壬がしゃがみ込んで背中を向けてくる。その所作が何を意味するのか分かってしまって。

「えぇ〜……」
「マンションまで十分くらいだから、今からタクシー呼ぶより早いと思うけどな」
「この歳になって年下におんぶさせるとか……」

 ほらほら、と嬉しそうに促してくる壬の表情に、安心してしまった自分がいる。
 唇を尖らせてしぶしぶと言った表情を作りながら、陸は彼の肩に掴まった。

    なあ、重かったら降ろせよ」

 暗くなり、街灯に照らされ始めた道を歩きながら陸はそう言った。傍らの車道を、仕事を終えたサラリーマンらしき疲れた表情の男性を乗せたタクシーが一台、二台と通り過ぎていく。

「大丈夫だよ。俺、体力には自信があるし。こう見えても研鑽を積んだ戦士だから」
「いや、こう見えてもクソも、お前は立派にそうじゃん」
「ふふふ。そう思ってくれてるんだ。嬉しいなぁ」

 壬の機嫌がいい。なんだかそれが嬉しかった。思ったよりも広い背中から落ちないようにとぎゅっと首に掴まる。

「……お前、さぁ」
「うん、なに?」

 ふと。
     そのうち、向こうに帰るんだろ、と言いかけてしまってハッとする。
 不思議そうに顔だけで振り向いてくる壬に、なんでもないと慌てて首を振った。それから少し沈黙が続いてしまって、半端なことを言いかけた自分を悔やんだ。
 やがて、壬がぽつりと言う。

「……今朝は、本当にごめん。嫌な思い、したよね。酷いこと言ったって分かるよ。……ごめん」
「……いいよ、もう」

 もう気にしてない、というのが陸の正直な気持ちだった。

「俺にとってはあんなのただの飲み会のイタズラだと思ってたけど、嫌な気持ちになるやつもいるんだって、当たり前のことが分かってなかった。俺が無神経だっただけだよ。……悪かった」

 だから、この話はこれでおしまい。
 そのつもりで陸は壬の首にごつんと額を打ち付ける。

「…にしてもさぁ、お前沸点低すぎじゃねえの?」
「あはは……前はそうじゃなかったんだけどな。最近、ちょっと酷いよね。自分でもうんざりする時あるよ。特に陸が絡むと俺は本当にどうしようもないよね」

 なんだか、とても顔が熱い。寒がりの陸にも今日ばかりは冷たい夜風が気持ち良かった。

「でも、ただ最初スキー場のCM見ただけだろ」
「そんなのはね、もう今となってはただのきっかけ。多分俺は、いつどこでどんな出会い方をしても、きっと陸を好きになる。    あ」

 ふ、と息を吐いた壬が空を見上げる。
 もうすっかり夜空に変わり、星が浮かんでいた。きらきら、きらきらとほんの小さい光ながら、壬は嬉しそうだった。

「今日は、星が綺麗だなぁ」
「星?」
「こっちは夜でも明かりが多いから、あんまり星が綺麗に見えないことも多いんだけどね。今日は綺麗だ。やっぱり向こうには負けるけど」
「お前、星好きなの?」
「好きだよ。太陽とか夕焼けとか、そういうものの中で星が一番好き」
「ふぅん……」

 いつも帽子を被っているせいもあって、久しく星なんて見ていない。山岸に送り迎えしてもらう時は車の中だ。その頃には大抵窓ガラスに自分の顔が反射しているばかりで、見ていても特に面白くもない。
 そうして陸は、自然とそう言っていた。

「壬。    星だ」
「え?」
「お前の神威。星の力を借りよう」

 凛に話を聞いて、何をすべきか、何をしたいか、どんなものにしたいか陸が決めろと言われて、ずっと考えていた。自分次第だとは言われても、結局のところは壬に関わるものだ。

「星?」
「そう。……あぁ、うん。なんか、分かってきた」

 まず大事なのはイメージ。満点の星空。水面に映って、上も下もきらきら、きらきら。その水面の上を、まるで星空を渡るように。そうして、降り注ぐ光。星の祝福と、加護。悪しきを滅する裁きの光にも似て。

「壬、早く。メモしねえと忘れる」
「え? え?」
「ほれ、走る」
「えぇー」

 残りほんの数分の距離を、訳も分からぬまま壬は走る。
 マンションに着いて壬に降ろしてもらおうと、休んだお陰かとりあえず少し歩ける程度には回復していた。オートロックを抜けて部屋に入ると、てっきりお茶でも飲んでいるかと思っていた二人はすっかりソファで寝ている。

「……えぇ……」

 まぁ、疲れているようだし夕食が出来たら起こせば良いか。
 その前にと凛から借りた資料を取り出して、目当ての箇所に付箋を貼っていく。
 そうだ、早く、早く。このイメージが消えてしまわないうちに。






 足早に歩いて屋敷に辿り着き、侍女たちが頭を下げてくれることにも構わず狼は廊下を進む。
 夜も遅く、普段であれば擦れ違いざまに嫌味の一つでも投げてくる大叔父たちも既に休んでいるようでひっそりと静寂が満ちていた。

「凛、煉を呼んで来い」
「え? 煉?」
「俺は成を連れてくる。先日出たばかりだから今はお前では無理だろう」
    出る?」

 またすぐに向こうに戻るの、と問われて狼は頷いた。

「壬から、神霊の肉を食って半神霊になった男の話は聞いたか」
「ああ、うん。    ああ、そういうこと?」
「そうだ。早く潰すに越したことはない。ところが探すにしても手掛かりがないと来ている。俺達は会った訳ではないからな。数が必要だ」
「はぁい。じゃあ、また玄関でね」

 こんな時間ではあるが成はまだ起きているはずと確信して、部屋の襖を開けた。
 案の定、突然襖が開け放たれたことに驚いている成がいる。既に寝間着にはなっていたがまだまだその目と意識はしっかりしているようだ。

「……あ、あぁ、兄さんかぁ……びっくりした……」
「成、すぐに出る。着替えろ」
「………え…? やだ……」

 本を抱えてじりじりと後ずさる成に構わず近付いて、遠慮なく腕を掴む。

「俺の言うことが聞けんのか」
「やだやだ、だってこの間外に出たばっかりで……やだぁぁぁぁぁぁ……」
「成」

 普段よりもなお、ぴしゃりとした声で咎めるように名前を呼べば。
 唇を引き結んでしばらく恨めしそうな顔をした後、のそりと立ち上がる。

「今年は厄年だ……」
「うるさい。着替えて玄関に来い、分かったな。俺は父上のところに寄る。逃げるなよ」
「分かりたくない……逃げたい……」

 その言葉を無視して部屋を後にすると、とりあえずと自室に立ち寄って着替えだけを済ませる。
 神霊の肉を食う、など想像しただけでゾッとする。思わずぶるりと身震いをした瞬間、先ほど自分が成にしたように勢いよく襖が開いて煉が入ってきた。

「おい、狼。どういうつもりだこんな時間に」

 真ん中より下の弟の癖に、彼の喋り方は狼のごとく尊大。かつ、壬のように「兄上」というでもなく兄であろうと弟であろうと全てを名前で呼ぶ。自分達兄弟は取り立てて気にはしないが、一時期例の大叔父が気に入らないと難癖をつけていたなと思い出す。

「聞いての通りだ。神霊の肉を食った人間がいるらしい。壬が出会ったそうだ」
「ならば本人に何とかさせれば良い。あれも獅子神の男だ」
「そうもいかん。あれはもはや壬だけの問題ではない。神霊として、討たねばならない。……その男は既に神霊の味を覚えている。放っておけば次々と喰われるだろう」
「それで喰われるならばそれまでということだろう」

 はあ、と一つ溜息を吐いて、ふと。
 今の煉の「あれも獅子神の男だ」という言葉にほんの少しだけ、違和感を感じた。

「煉、お前、もしや聞いていないのか」
「何を?」
    壬に、神威が発現した」

 ぽかん、とした煉の表情はなかなか見られるものではない。おお珍しい、と思いながら煉の口を掌で塞ぐと、同時に「なんだと!?」と彼が叫んだ。

「いや、待て。そもそもお前、この数日どこへ行っていた。そう言えば成と凛が戻ってきた時からいなかったな」
「裏の山で修行をしつつ猪を追っていたが何か? 今日の鍋は絶品だったぞ」

 あちら側では今の煉が浮かべているような表情を「ドヤ顔」と言うらしい。ふんすふんすと得意げになっているところは、口調は尊大でもやはり年下の弟である。
 とりあえず頭を乱暴に撫でてやると、「おい、馬鹿にするな」と抗議が飛んできた。

「ところで、壬に神威が発現したと言ったな。嘘ではないだろうな?」
「嘘を吐いてどうする。元より能無しと言われていた壬にとって、その類の嘘が何よりも禁じ手であることは分かっているだろう」
「……そうだったな」
「成にも声をかけた。俺は父上のところへ報告してから行く。先に玄関で待っていろ」

 分かった、と頷いて先程の勢いもどこへか、煉は大人しく出て行った。話が通じさえすれば早い相手であるところは助かると思いながら、狼はことさらひっそりと、足音を殺して父の私室へと向かう。

「入れ」

 声をかける前に、先手を打たれた。

    失礼致します」






    センパイ♪ 飯食いに行きません?」

 翌日、午前中から取り急ぎ衣装合わせが入っていた。
 採寸を終えて槙島と何くれと打ち合わせをして昼近くになった頃、満面の笑みで幽峪が割り入ってくる。

「行かない」
「えー、昼飯奢りますよ。それに、    どうして俺が二回も襲撃掛けたか知りたくありません?」

 陸は眉を顰めて。

「……別に…知りたくない……」
「キッツ! まぁまぁそう言わずに。聞いてくださいよ」
「聞いてほしいのかよ」
「ね、ね」

 初日にほぼ全員が抱いたであろう生意気そうな雰囲気は若干なりを潜め、まさしく「センパイ俳優のケツを追う」形になっている幽峪を見ていた槙島の感想は。

「小日向ちゃんって厄介そうなのに好かれるよね」
「嬉しくないです」

 確かに時間はもういい頃合いだし、藤野と佐川がひと段落つけば休憩を言い渡されるであろうことは分かるが。
 さすがにあの二度の仕掛けの後、さらに壬と喧嘩をした後では、彼と二人で昼食に行くことは避けたい。

「じゃあ、付き合ってやるけど時間は俺に決めさせろ。昼はパス」
「そりゃ、構いませんけど。じゃあ夜ですか?」
「そう。さすがにお前の正体知ってるし俺としては二人で行くのはイヤすぎる。お前、今日の夜仕事とかあるか」
「ありませんよ。めっちゃくちゃ忙しくなるのは年末のフェス近くなんで」

 ならばと陸はスマートフォンを取り出して、迷わず壬を呼び出した。
 数度のコールの後に、慣れた声が聞こえてくる。

『はい』
「壬? 俺。お前今マンションにいる?」
『うん、いるよ』
「四時頃、山岸迎えに寄越すからちょっとこっち来い。なんか幽峪が話があるってから、みんなでメシ食いがてら聞いてやることにした」
『…………何の話?』

 壬の声が曇った。お前相当嫌われたなと憐みの視線を隣の幽峪に向ければ、彼にも聞こえていたのだろう、幽峪も気まずそうに眼を逸らしている。

「いや、分かんねえけど」
『…………』

 どうやら相当悩んでいるらしい。なんだかその状態の彼にこれ以上無理を言うのも酷な気がしてきて、「あ、じゃあいいや」と陸は言った。元よりあの時関わった真と七那岐にも声をかけるつもりだったし、幽峪と二人になるのは確かに嫌だが、他に彼らがいればそれはそれで。

『………分かった。行くよ』
「え? む、無理すんなよ?」
『いい。行く。場所を教えてもらえれば、今からでも大丈夫だから』

 めっちゃ嫌そうなんですけど。
 とは、言わずにおいた。
 山岸に頼むつもりだったが、マンションでさほど忙しい訳でもないので、陸が朝方作り置きしておいた昼食を採ったら程なく出るという。寄り道しつつ、最初に陸が指定した時間にはこちらに着くようにする、ということだった。
 電話を終えて、幽峪にもう一度憐みの眼差しを向ける。

「お前、マジで相当あいつに嫌われたな」
「っすね」

 あれ、と思った。一瞬、彼の表情が何とも言えず真面目な色が滲んだように見えて。

「壬くんに嫌われると、キツイなぁ。俺の話」
「……何の話するつもりなわけ?」
「あはは、それはまだ、秘密です。夕方のお楽しみ」
「お前が全員分奢ってくれんだろ?」
「え? 全員って?」

 三人、せいぜい陸の隣の槙島を入れて四人では? と不思議そうな表情の幽峪に見せつけるように、陸は再びスマートフォンを取り出して今度は七那岐の番号を呼び出した。

『……は〜ぁい?』
「今日の夕方、スタジオアクセル。玄関口。集合」
『……は?』
「メシは幽峪の奢り。一世一代の相談事があるらしい。ヒマなら来るように。以上」

 さて次は真だとアドレス帳を探る陸に、「ちょっちょちょちょちょ何人増えるんです!?」と幽峪が縋りついてきた。

「とりあえずこないだ居合わせたあと二人に声かける。来るかどうかは分かんねえけど声かけるのは果たすべき義理だから、全部で七人でも行けそうな店を夕方までに押さえとけ」
「ななにん」
「人気アイドルの稼ぎなら七人分のメシ代くらい余裕だろ? 一人食って霊気回復させる奴いるけど」
「いや、そりゃ金の方は大丈夫ですけど……六対一でしょ? えぇぇ……」

 どうやら人数による情勢に不安を感じているようであるが、もとはと言えば言い出したのは彼の方なのだから。やがて幽峪は諦めたように体を起こした。

「分かりました。午後いっぱいかけてハラ括っときますよ」
「そうそう、それでいい。    ま、話の内容によっちゃ少しは味方してやるかもしんねえ余地あるから頑張ってプレゼンしてくれ」
「やりますよ。やらなきゃならんってところでしょ、ここ」

 そうして去りゆく彼がポツリと呟いた言葉が、聞こえてしまった。

    幽峪から抜けられるならね。なんでもしますよ俺は」















−続く−

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